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2009年12月21日月曜日

新しいカメラ Ricoh GXR で

 物好きにも Ricoh GXR という新発売のディジタルカメラを買ってしまいました。
 本体にはレンズと受光部がないのです。シャッター、液晶モニター、色々な設定ボタンなどがついているだけで、レンズと受光部はレンズセットといって別になっていて、簡単に取り替えることができます。レンズセットは、目下のところ 50mm, F2.5 のGR Lens A12 という固定焦点のと、24-72mm, F2.4-4.4 の Ricoh Lens S10 というズームがついたのしか出ていません。
 さっそく、鎌倉までいって A12 を試してみました。結果は写真をご覧ください。今回はすべて、JPEG で 3776 x 2832 で撮り、それを 1600 x 1200 に縮小してありますが、受光部のCMOSの大きさが一眼レフ並みだけあって、満足のいくものでした。ただ、Ricoh らしく、マクロにすると焦点が合うのにかなり時間がかかります。Ricohの初期のコンパクトディジタルカメラを思い出してしまいました。

 最初は浄妙寺の本堂です。色合いも自然ですし、焦点も隅々までしっかり合っています。



 お寺の裏山の木々が細部にいたるまでしっかりと写っています。枯葉の1枚1枚が見えるのではないかと思われるほどです。また、お寺の建物の軒下の陰になった部分や、後ろの森の緑色の木の陰の部分など暗部もしっかり写っています。



 本堂の内部を外から撮って見ました。ISO200で露出補正を -0.3 にしてあります。暗い部分にノイズもほとんどありません。さすがに直射日光の当たっている柱の一部分は白飛びしていますが、内部は明るいところも暗いところも細部まで奇麗に表現されています。


 
 これは田楽辻子にある喫茶店の窓ガラス。色合いも忠実に再現されている。ガラスの中の空気の泡まで一つ一つ見えている。


 これはマクロを試してみた。狂い咲きのツツジの雄蕊の先端の葯の形までしっかり写っている。


 ということで、満足の行く結果でした。今度はもっと光条件の悪いところで試してみたいです。また RAW も試してみます。暫くお待ちください。




2009年12月10日木曜日

暮れの都心

夕方、日本橋から丸善から東京駅八重洲口まで歩いたときの写真です。

まずは八重洲通りと中央通の交差点で八丁堀方向を見たところ、銀杏が美しかったので。



夕暮れの桜通り



楽しそうな大丸のショーウインドウ



帰り着いた蕨の駅前の電飾、何故か寂しげでした


2009年12月3日木曜日


 今日は終日、雨でした。雨の日の落ち葉も奇麗かもしれないと、リコーのCX1を持って近所を歩きました。












2009年11月27日金曜日

上野公園界隈

 上野で友人に会うため、少し家を早く出て、田端から歩いてみました。
思っていたより近くて、楽に歩けました。
 始め、JRの東側に出て、日暮里付近でJRの線路の上を越えて、西側に移り、谷中を経て藝大の前を通り、上野公園に出ました。欅や銀杏が黄葉し、秋らしい風景を愛でながらの道中でした。

上野公園の広場では木々が色づいてきた公園の広場、木立の中に入ると、小鳥のさえずりが見事でした。



 芸大の方から公園の広場に出る途中、国立博物館前の木立の葉も色づいて奇麗でした。



谷中にある東京では珍しい土塀の前では、枝下ろしの最中です。



JRの線路の上を越えるときに見つけた電気機関車、運転手さんが乗っていました。



2009年10月23日金曜日

東京駅の修復作業の中心部分が完成しました?

丸ビルの中道り側にありました


仲通り、新東京ビル前です。 以前、まさにここで鴉の写真を撮りました。

仲通にはハロウィンの飾りつけがありました

2009年10月13日火曜日

中国雲南省旅行

 中国の雲南省に世界遺産として有名な古都、麗江(Lijiang)があります。
 ここで開かれる中国のある学会に出席しないかというお誘いが、主催者からきました。麗江にはかねてから行ってみたいと思っていたので、喜んで参加することにしました。
 9月19日に成田を出て26日に帰ったのですが、丁度、秋の5連休に当たって、適当な航空便が取れず、北京-昆明と飛び(20日)、昆明からは中国の人たちと一緒に貸し切りバスで、大理、麗江、と旅し(21日)、さらに学会のあと、麗江>香格理拉(シャングリラ)>麗江と旅しました(24-25日日)。帰りは麗江>昆明、昆明>北京、北京>成田と飛びました(26日)。

 その間に撮ったいくつかの写真をお目にかけたいと思います。


 これは麗江の街で踊りを披露しているこのあたりの少数民族(たぶん"い族")のお婆さんたちです。




これは昆明の近くの名勝、石林で見た民族衣装の女性です。


 麗江の街はすっかり観光化していましたが、古い市街地はすべて石畳で、マンホールさえありませんでした。よく見ると、石畳の石に「汚」とか「雨」とか文字が彫り付けてあります。おそらく、この石の下に汚水枡の口や、雨水の管などがあるのだと推察しました。建物そのものは古い様式のものばかりですが、中は沢山のみやげ物店、さらにはバーやディスコまであって、完全に観光化されていました。公衆便所も、この街のものは実に立派、かつ清潔に保たれていました。この写真は沢山ある路地の一つです。




 ここは香格理拉に行く途中に立ち寄った、白鳥などの渡来する大きな沼のある村です。
塀や建物の壁は日干し煉瓦で出来ていました。日干し煉瓦とは、粘土でブロックをつくり天日で干し固めたものです。よく見ると、藁が入っているみたいでした。日本でも壁土に藁を刻んだ物を入れていたと思います。



 これも麗江の街の風景です。織物を売っているお店で、民族衣装の美しい娘さんが機織の実演をしています。

 これは先ほどの村のトウモロコシ畑です。この付近の農家にはよくトウモロコシが干してあります。またこの村では林檎も栽培していました。


 香格理拉の近くに高地湿原があります。尾瀬に似た感じのところです。周囲の林の木々にはサルオバセがびっしりと寄生していて、びっくりしました。ここも環境保全には注意が払われているようで、一箇所だけあったトイレにはGreen Toilet 環保厠所 と書いてありました。 湿原を汚染させないようにしてあるんだと思いました。ここで見かけた地元の人です。湿原周辺めぐりのバスに乗り込んできました。


 湿原のはずれにあった民家です。ご夫婦らしい人たちが出てきました。




 

2009年9月10日木曜日

カルガモのその後

 怠けていました。でもジョッギング日記 http://ishii.bravepages.com/jogging/ にはほぼ毎日の報告があります。
 子供が3羽の状態が長く続いて、8月24日はまだ子供は3羽いました。



それがなんと25日には2羽になっていました。それも子供だけ2羽みたいなんです。お宮の人の話だと、子供1羽と親が同じ24日に飛び立っていったらしいとのことでした。


そして、8月30日には、遂にたったの1羽、写真の左下の池の縁の石の上ででションボリしています。


孤独な1羽は9月4日まで頑張っていましたが、この日に遂に旅立ったらしく、5日の朝は池は空になって、亀だけが泳いでいました。これは上の池、下の池も亀だけでした。






2009年7月22日水曜日

ミミズとカルガモ



 一昨日のことです。夕方例のカルガモを見に行っていたら、刈り上げ頭で、色黒で細身だけど筋骨逞しい感じ、そして、白の T シャツに、ブルーの花模様の短パンと言ういでたちのオジサンが、手に棒きれを持って池の縁に現れました。
まさか、カルガモを虐めるんじゃないだろうな、止めるには一寸手ごわそうな人だなと勝手に心配していると、青パンオジサンは棒切れで池の縁の植え込みの根元を突っつき始めたのです。



 何をしてるのかと、見張っているとなんとカルガモがおじさんの周りに集まってきました。1羽などはオジサンの後をついて回っています。オジサンは植え込みの落ち葉の下からミミズつけてはカモに与えていたのです。


 
 作業を終えたところで、味方同士だとわかったオジサンに話しかけました。「カルガモがミミズを好きだなんて、よくご存知ですね?」と訊いたら、なんとオジサンは「そんなこと、インターネットでカルガモを検索すれば、すぐにわかるじゃない」との返事、これにはさすがの僕も返す言葉がありませんでした。 ”反省しきり”
 オジサンのよると、セミやトンボも大好きなんだそうで、皆がやるので、パンはあんまり食べないねとのことでした。

 そんな話をしてると、カルガモたちはいつの間にかオジサンの足元に集まってきました。オジサンは「雨が降らないから、ミミズがあまり取れないんだよ、ごめんな」って謝っていました。


 

2009年7月18日土曜日

明日から夏休み



 昨日のカルガモ報告です。
 子供4羽が元気に母親と泳いだり、池の縁の陸に上がったり、餌を争うドバトとけんかをしたりしていました。
 それに小学生たちが3人、お菓子をカルガモに分けてあげていました。小学生は餌を横取りしに来るドバトを嫌って、さかんに追い払っていました。「明日から夏休みだから今日はゆっくりできるんだ」とか大人びたこと言っていました。3人のうちの一人の子によると、雛は最初は8羽いたんだそうです。毎日1羽ずつ減ってったとか。親は日に一度姿を消すときがあるとかも。

 今朝6時頃にも4羽の子達が元気よく泳いで餌を漁っていました。ずっと見ていたおばさんがいて、親は5時前から8時半頃まで姿を消しどこかに餌を食べに行くんだとのこと。今日は食べやすいようにキャベツを小さく刻んで持ってきたけど、ミミズが一番好きなんだともいっていました。
 


2009年7月16日木曜日

昨日のカルガモ


 昨日の朝のカルガモたちは、親子揃って池の中を泳いで餌を漁っていました。
数は一昨日と変わらず、親1羽にに雛4羽でした。


池の縁の石や池の中の島になっている石に伸び上がっては、
上の方に生えているコケや草をついばんでいました。
 こんど、餌を持ってきてやろうかなと思っています。


恩師安富和夫先生

 一昨日の朝、付近の路地を走っているとツユクサの群落があって、そのツユクサの葉に、体長5-6mmの1匹の小さな瑠璃色の甲虫がいるのに気がついた。


 この昆虫には思い出があった。高校生の頃にこの昆虫に気がついて、非常勤の生物の先生の安富和夫先生(僕の一生の方向に大きな影響を与えてくださった方)に名前をうかがった。先生によると、体全体が瑠璃色の個体はハムシ科、Lema 属のものであるが、種名までは分からないとのことだった。よく観察して見ると、そっくりのもので全体がオレンジ色の個体、胸部や頭部がオレンジ色で翅鞘(後翅を覆う背中を覆う硬い構造で前翅が変化したのも)が瑠璃色の個体など、色々な色のものがいることも分かった。そこで、交配実験などをして、この色彩の遺伝的な解析をしようとしたが、根気がなくて中途でやめてしまった。
 そんなことを思い出して、インターネットで検索をして見たところ、こういう形をしたハムシでツユクサを食べるものはアカクビボソハムシ(Lema diversa)ということが分かったが、今回見た個体はこの種であるか、それに近い種だろうと考えられた。
 そこでさらに、アカクビボソハムシを検索してみたところ、なんと1950年の安富和夫先生の論文が出てきたのである。それによると、先生は違った学名がついていたこの昆虫の色々な色彩の個体の交配実験を試みた結果、色彩の変異は三つの複対立遺伝子で説明が出来ると報告しておいでだった。
 先生はそこまで研究しておいでで、僕に名前を教えてくださったのかと、いまさらのように先生の立派さに感銘を受けた。そして、今回見て、写真に撮った、体全体が瑠璃色の個体はアカクビボソハムシに入るのかどうかはやはり疑問のままとなった。

 安富先生はまだご健在で世田谷区におすみになっている。数年前に、ある席にお招きしたことがあったが、その後、ご無沙汰している。近く伺ってみたいと思っている。




2009年7月12日日曜日

うるさい爺さん

その1) 蕨神社で育雛しているカルガモの様子を見に行こうと思って家を出てエレベータを降りると、若いお兄さん二人が、せっせと集合ポストに広告のビラを突っ込んでいるところでした。相手が二人もいるので、今日は少し柔らかに、「君たちバイトでやってるのかな」と話しかけ、二、三、言葉を交わしてからおもむろに、ポストの側面に張ってあるビラなど禁止の警告を指差して、「こういうことになってるんだよ、沢山ビラが入ると郵便物と混じって皆さんが困てるんだ」と言ったら一応素直に立ち去りました。

その2) さて蕨神社について、池の方に行ってみました。この前5羽いた雛が可愛そうに4羽に減っていました。今日は池の向こう岸で、親と少し離れたところでくっつきあって座っていました。ところが少し心配そうな様子なのです。というのは、こっちの岸で子供が二人、網を持って池の中を攫っていたのです。池の幅は数メートルしかないので、カルガモが心配なのも無理はありません。
 しかも池の縁にはロープが張ってあり、釣りの禁止、ロープ内立ち入り禁止、動物を放すことの禁止などが書いてある掲示板も立ててあります。子供たちは平気でロープの中に入っていますし、しかもそばに母親らしき女性と、祖父らしき老人が立っています。
 そこで、暫く様子を見ていることにしました。子供も老人も気配を察したのか、池の縁を離れて、少し先の流れの方に移動していきました。そのうち、また子供の一人が戻ってきて、池の縁のロープを跨いで中に入り、ザブザブやりはじめました。そこで、ご老人に「あれはお孫さんですか?」と話し掛け、「掲示板にいろいろ書いてありますよね」というと、老人は何食わぬ顔をして、「ここ入いっちゃいけないらしいよ」とかいって、孫を連れて立ち去りました。

 我ながら、前職は教師の小うるさいジジイ ああ嫌だなと思いました。でも暫くカルガモを眺めていたら、その可愛い姿に心が和んで、穏やかな気持ちに戻って帰路につきました。