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2010年6月9日水曜日

病床五尺 その26

6月9日 水曜日 曇りか
  
朝作った駄句を三つ

Kさんのお酒へのお誘いに 

一献に君頬染めて梅雨に入り 

春の思い出
 
花びらを追い小走りのおとめかな 
黒髪にひとひらの花弁置きにけり
 
今日の検温はK看護婦さん、同室のKさんの質問に、「赤血球に結びついた酸素の量、いやパーセントを測ってる」というように、反射的に量を割合に訂正していたのに感心する。理科の基礎が分かっている人である。ちょっと珍しい。
酸素96%、体温は最初の1分で36.9度、5分くらいしたら 36.5度に下がった。血圧は訊くのを忘れた。ここのも、我が家のと同じで、1分では高めに出る。正確に測るには5分か6分かけるべきだ。

 今日は朝早く一度、5分くらいベッドの縁に座ってみた。11時ころに2度目。座ってパソコンを打ってみた。かなり腰が辛いが1-2分くらいなら耐えられる。結局8分近く座れた。少しづつ長くしていこう。

 昼食は山口さんがゆっくりと上手に速度を調節して、ベッドの背を持ち上げてくれたので、楽に座っていられた。こういうこと一つでも、経験と職業意識が大きく影響する。

 午後、Tさんの代役のSRさんが来る。これだけ脚力があるんだから、歩いてもいいんじゃないかとのこと。車椅子で20分というので、パソコンでメールを書いていた。手をひじ掛けについてると楽なのだが、前腕で支えないと体重がもろに腰にかかるので、辛い。看護婦のYさんの言うことには、立つときにはコルセットで腰を固定すると楽だという。きっと座るときもそうに違いない。やってみよう。

5時ころにO先生が来て、足を上げさせられた。その様子を見て、もうどんどん歩いていいですねと言う。座るのも歩くのも、負荷は同じとのこと。ただ、どしんと座らないことと言われた。

 夕食前に栄養士のUさんという女性が来て、手違いで夕食の魚に骨がついたのが来てしまってと、謝罪と断りに来た。奇麗な人であるが、僕のところだけに来たのが解せなかった。この人ならいつでも歓迎なのだが。


 朝、髭をそったりしていて、バロックの森の最初の方は聴き損ねた。
聴けたのは、

「前奏曲」フランソア・デュフォー作曲、「サラバンド」フランソア・デュフォー作曲
「ブーレ」オトマン作曲、「アルマンド」デュビュイソン作曲、「サラバンド」             サント・コロンブ作曲(リュート、テオルボ)バンジャマン・ペロー、            (ヴィオール)フロランス・ボルトン
「アルマンド“ル・ムティエ”」 「クラント」 「サラバンド」、以上は             シャンボニエール作曲、(クラヴサン)フランソアーズ・ランジュレ
「シャコンヌ」シャンボニエール作曲、(クラヴサン)オリヴィエ・ボーモン
「シャコンヌ」ルイ・クープラン作曲、(クラヴサン)ジョヴァンカ・マルヴィル
「ジーグ」フローベルガー作曲(クラヴサン)バンジャマン・アラール

やはり、リュートやクラブサンの音は格別。


2010年6月8日火曜日

病床五尺 その25

6月8日 火曜日 曇り

 バロックの森は
 作曲者不詳の「“夜のバレエ”から 序曲」「“夜のバレエ”から 昇る太陽の場面の音楽」
 リュリの「“平和の牧歌”から 王太子妃のためのエール」「“寛大な恋人たち”から アポロンのアントレ」「“愛の勝利”から アポロンのアントレ」「“愛の勝利”から 第4幕 第2場の第2エール」、コルディエ作曲の「ク―ラントのラ・ポカンヌ」、リュリの「スペインのフォリアによるオーボエのエール」「“快楽のバレエ”から」
 解説は関根敏子という信じられないほど低速でしゃべる女性。教え子Kのご母堂もおっとりしたしゃべり方のであるが、それよりもはるかに遅い。

朝の血圧は128と85。酸素は94%、体温はYさんの赤ん坊用の体温計で36.2度。

 9時ころにTさんが来てリハビリ、O先生に今後の予定を訊いてもらう。

 10時前に入浴、今日もFさんとHさんがストレッチャーで2階の浴室まで連れて行ってくれる。仲良しのヘルパーのIさんが賑やかに迎えてくれた。準備をしてる間、廊下で待ってるとF、H両嬢を相手にIさんがズロースって知ってるかとか、提灯ブルマーって知ってるかと訊いている、二人とも知らなくて、Iさんが解説してるのが聞こえてくる。迎えに出てきたIさんが笑ってた僕に「間に一線あるね」という。40代が境かも。
 今日は浅いビニールのプールみたいのに移されて、Iさんが丁寧に全身を洗剤で洗い、さらに小さいタオルで、こすって垢を落としたうえ、足指などは手でもこすって磨いてくれた。今日もFさんが見学していた。もう一人いたのは芝のYさんのようにも、IHさんのようにも見えた。たぶん、IHさんだろう。浴室にいた間中、Iさんとの会話は賑やかで楽しかった。IHさんやFさんも楽しそうだった。

 11時半過ぎにTさんが現れて、O先生に訊いたら、車椅子と、続いて立つ練習をやっていいとのこと。さっそく車椅子に座ったら、調子がいい。10分以上座ってから、Tさんが押してくれて、3階をぐるりと案内してくれた。総計30分くらい座れ、無事にベッドに戻る。Tさんは明日は休みなので、本式の訓練は明後日からになりそう。車椅子の次は廊下のバーにつかまって立つことから始まり、その次は2階のリハビリ室だという。リハビリ室は来週でしょうかねとい言うので、結局5週間くらいの入院になりそう。
 戻って、5分もして昼食、Y看護婦さんが心配して寝て食べますかと言ってくれたが、体を起こして食べることにした。案外平気で30分くらいそのままでいられた。Yさんはお風呂で血液循環がよくなってるからという。気分が明るくなった。

 午後にはT氏が見舞いに来て下さった。彼と話してるうちに、なんとIBさんご夫妻も来て下さった。家人もやってきて総勢4人のお見舞いで賑やかだった。

 


2010年6月7日月曜日

病床五尺 その24


6月7日 月曜日 晴れ

 バロックの森は途中から、ジャン・バチスタ・リュリの曲をやっている。「銃士隊の行進」「銃士隊の訓練」「銃士隊の退却」「銃士隊のオーボエ奏者のためのトリオ 第1番」「銃士隊のオーボエ奏者のためのトリオ 第2番」「銃士隊のオーボエ奏者のためのトリオ 第5番」「銃士隊のオーボエ奏者のためのトリオ 第3番」「銃士隊のオーボエ奏者のためのトリオ 第7番」、
ラ・ヴォア・ミニョ作曲 「管弦楽組曲 変ロ長調」、 
リュリ作曲 「“快楽のバレエ”から」・序曲 ・2つのアントレ ・第2の序曲、「“アルシディアーヌのバレエ”序曲」 

 リュリの曲はいかにもバロックらしい。      


朝の検温: 血圧 118に71  体温36.6度 酸素は96%。

 10時過ぎに桜庭さんがいたベッドのところに入ってきたFさん、どこかほかから手術かなんかで入ってきたらしい。手術は済んで、明日の午後には退院の様子。

 10時半ごろ高野さんが来てリハビリ、膝上の筋肉が落ちてるので立つのが大変かもと言われた。確かに、膝のすぐ上が細くなってしまっている。足の運動を頑張ってやることにした。

終わってから車椅子に座ってみる。この前より楽になった。腕で体重を少し支えてると、ほとんど苦痛がない。自分でブレーキ操作もやれた。しかし、長い時間は無理。せいぜい、2-3分。頑張れば5分くらいか。

今日は眼鏡かけたIさんという看護婦さんが来ていたが、Yさんは土曜日の代休で休んでるという。掃除のおばさんによると、Yさんが来るまでは3階の看護婦は毎日替っていたとのこと。Yさんはすべてを心得ているので、彼女がいないと心細い。

 新入りのFさんは色々と看護が大変らしく、看護婦が付ききりのようである。点滴もしていたみたいだった。YOさんという素敵な顔立ちの看護婦が来て看護をしていた。


  親友K氏ご夫妻から戴いたものは毎食後にいただいている。ちょうど、手元にカメラがあったので、撮ってみた。ゼリー菓子というのは案外難しかった。外に出して撮れば良かったのかも。げんこつ煎餅、成田山新勝寺参道のお煎餅屋さんを思い出した。
 入院以来、堅いものを食べてなかったので数日前に初めておせんべいを食べたら、歯が浮くような感じがした。今朝、ミントタブレットを食べたら、これも強烈に効いた。筋肉といい、歯といい、味覚といい、すぐになまってしまうことを知った。歩行訓練の困難さが予想できる。




 戴いた花がまだ奇麗である。








 

2010年6月6日日曜日

病床五尺 その23

6月6日 日曜 晴れ

 さすがに昨夜は熟睡できたが、ベッドの上半身が昨夜から少し上がったままになってたので腰がつらく、5時前に目が覚める。夜勤の豪快看護婦のIさんに水平してもらい6時5分前まで再眠。朝、回復の兆し。

バロックの森は
1)バッハの無伴奏チェロ組曲からハ短調 ――――― 渋い
2)ヘンデルのオラトリオ、ソロモンからシバの女王登場

血圧 118と76 酸素96% 体温36.9度



 午後1時過ぎに親友K来る。げんこつ煎餅と日本橋屋長兵衛の金魚すくいなる菓子持参。前者はKの後者は奥さんの選択。



昨日、二つの俳句をいただいた。

A.    病床の師は朗らかよ夏兆す    琥珀さんの原作
B.病床の師はおほらかに夏きざす   上の句を見て木の葉さんが提案した句

まず師と呼んでくださって恐縮、しかし男とか、君というわけにもいかないし、爺では句にならない。

 「朗らかよ」と「おほらかに」とについて、考えてみた。「朗らか」というのはどちらかというと外見である。琥珀さんは見た通り、印象の通りに「朗らか」と表現している。それに対して、木の葉さんは師の心の内面まで入ってそれを「おほらか」と表現しなおした。
 琥珀さんは師を直接見て、その病床にあっても朗らかなのが強く印象的だったので、「朗らか」の後にあえて「よ」という助詞を使ったのであろう。一方、木の葉さんはここをすなおに「に」という助詞に変えた。それで全体がなだらかになって、流れがよくなった。
最後に「夏兆す」と「夏きざす」の違いである。見た目にも前者の方が堅い感じがする。後者の方が柔らかである。仮名で「おほらかに」とくれば「夏きざす」のほうが合う。漢字で「朗らかよ」なら「夏兆す」と漢字で続けても違和感がないように感じる。

ここで前後の関係をもっと見てみよう。「病床の師」との関係では「師」という言葉のイメージからは「おほらか」と来た方が、「朗らか」よりは似つかわしい。「おほらかな師」と「朗らかな師」では前者の方がかっこうがいい。師自身はどっちを好むかは別として、読んだ人が師をその時どう感じたかによって違ってくるに違いない。
 また「朗らか」または「おほらか」と「夏」の関係である。「朗らか」とくれば、やはり「夏」だろう。「おほらか」には「夏」でもいいが「秋」の方がよりふさわしい気がするが、どうであろうか。

 たぶん、師を眼にして、そのときの印象を読んだのがAの句で、たぶん師の姿だけでなく人となりまで突っ込んで読んだのがBの句と言えるのではなかろうか。Aは生硬なところはあるが臨場感のある感覚的な句、Bは心の内面を現した流麗な句と言えよう。

なんて勝手なことを書いてみました、自分ではお二方には遠く及ばない、幼稚な俳句しか作れないのにひどいものです。でも利き酒は酒飲みでなくてもいいんだって聞いてましたので。

2010年6月5日土曜日

病床五尺 その22

6月5日 土曜日 曇りのち雨という

 昨夜はずっと眠れなかったような気がする。

昨日、MA嬢から来たメールにあったポーシャ・ネルソンの詩

第一章

わたしは通りを歩いてゆく
歩道に深い穴がある
わたしは落ちる
途方に暮れる
これはわたしのせいじゃない
そこから出るには気が遠くなるほどの時間がかかった

第二章

わたしは同じ通りを歩く
歩道に深い穴がある
わたしは見えないふりをする
もういちど落ちる
またこの場所にいるなんて信じられない
だけどわたしのせいじゃない
そこから出るには今度も長い時間がかかった

第三章

わたしは同じ通りを歩く
歩道に深い穴がある
わたしは見る
それでも落ちる
これは習慣だ
わたしは目を開いてる
どこにいるのかわかってる
これはわたしのせいなんだ
わたしはすぐに穴から出る

第四章

わたしは同じ通りを歩く
歩道に深い穴がある
わたしは穴をよけていく

第五章

わたしは違う通りを歩く

【ポーシャ・ネルソン】



今日の昼に大井先生が山口さんと車椅子を持ってやってきて、座ってみた。割と簡単に座れたが、腰がこわばってきて、15分弱でダウン。でも車椅子第一日は成功。写真はこのときのもの。手にしているのはナースコール。Y看護婦さんにシャッターを押していただいた。






後輩Uと教え子Kとがパトリシア・コーンウエルの新作や新聞などを持って、お見舞いに来てくれる。気兼ねない話ができて楽しかった。
ついで教え子KTも果物持参で。

2010年6月4日金曜日

病床五尺 その21

6月4日 金曜日 晴れ

 今日は5時過ぎに目が覚めて、FMのスイッチを入れると、シュトラウス一世の有名なラデツキー行進曲が賑やかに聴こえてきた。名曲の小箱だった。東京フィルの演奏。

この曲はいつのころからかウイーンフィルのニューイヤーコンサートのアンコールの最後に演奏することになっている。クラシック音楽のコンサートでは観客が手拍子をとることはないのだが、この曲だけは特別で、指揮者が観客に向かって手拍子のキューを出すようにさえなっている。ウイーンフィルが東京に来てニューイヤー・コンサートをやったとき、大枚をはたいて聴きに行ったが、そのときもそうだった。ちなみにアンコールの最初の曲はこれも有名な、「美しき青きドナウ」に決まっているのである。

今朝はこの手拍子について面白いことを思い出した。僕がシアトルで生活していたころ(1974年ころ)だったと思う。テレビでこのニューイヤー・コンサートの中継を聴いて、この手拍子に感激して、あるアメリカ人の女性にそのことを話した。
彼女は「それはおかしい。日本では手拍子をとるのかも知らないが、アメリカでもヨーロッパでもクラシックのコンサートで手拍子などはとらない」というのである。でもそうだったと僕がいうと、「それ、日本だからじゃなかったの」というので、腹が立った思い出があった。確かにクラシックコンサートでは日本でだって、手拍子を聴いたことはまずない。

そこで、このウインフィル、ニューイヤーコンサートのラデツキー行進曲について調べてみた。
すると、ウィーンフィル3人目の指揮者だった、ヴィリー・ボスコフスキーのときにこのラデツキー行進曲の手拍子が始まり、彼は1955年から1979年までの間、その職にあったと分かった。僕がそれを聴いたのが1970年代だったのだからおかしくはない。


おそらくこの習慣が始まった初期のころで、世間ではこの手拍子についてはあまり知られてなくて彼女がああいう発言をしたに違いないと分かった。

  以上、古い忘れかけていた会話の思い出である。相手が誰だったか、女性だったとしか記憶にない。


夜勤のヘルパーはFさん、優しい人で、彼女も夜は静かに行動をするが、昼間は元気。


隣のベッドのKさんが「お母さん」と言った。彼女は笑いながら僕のところに来たが、その明るい笑いの中に一抹の寂しさを感じた。彼女もまだ若い気持ちでいるのだろう。
そこで僕が、「Fさんの笑顔は優しいから、そう呼ばれるんですよ。若いつもりでもあっというまに年月がたつんですよね」といったら同感して、またいい笑顔をうかべてくれた。


 昨夜、教え子Kからの贈り物の枕が届いたときも、其れを届けに来たFさんは今の枕から、ピローケースをはずして、そこに新しいのを入れてくれた。さっそくしてみたら心地よい。まずKさんに感謝。そしてFさんにも。



今日の日勤のヘルパーは近所の住人YHさん。彼女はほかのひとたちより、ちょっと大人しくてひっこんでいる。でも仕事はてきぱきしている。


今日はKさんと言う看護婦さんが血圧測定に来た。

血圧126と82 酸素96%、体温36.6度
 上は低いが下はやや高い。
 
 Kさんは普段は2階で勤務していて、今日だけ上に来ていると言っていた。2階から来た同室のYさんを知っていた。


午後はYさんの娘さんがお見舞いに見えていた。色々な話題で対話をとぎらせない。一方的に話すのでなく、対話になっていて、思いやりのあるいい娘さんである
。
僕には息子しかいないのが残念。もっとも親が親なら子供も子供と言うこともあるから一概に娘がいてもそうはいくとは限らないか。


今日はマイミク仲間の琥珀さんからカードとお見舞いの句をいただいた。

病床の師は朗らかよ夏兆す

 さすがにお上手である。自分の駄句が恥ずかしい。いつか腕をあげて、返句をさせていただけたらと思った。勉強勉強。それに師とはお恥ずかしい。




 夜、あたふたとO先生が飛び込んできて、あれ車椅子まだでしたっけ という。ええと返事すると、明日持ってきますと言って出て行った。明日は土曜なので、大丈夫なのかな?




2010年6月3日木曜日

病床五尺 その20


6月3日 木曜日 晴れ

 ここの天井にはフックが付いている。まさか病をはかなんで死にたくなった人のためにあるのではあるまい。何か器具か布団をつるすのに使うのだろう。




 4時ころに目がさめてしまう。子規の仰臥漫録を読んでいると赤羽のつくしを読んだ歌がいくつか出てきた。そのうちの数首、

赤羽のつつみに生ふるつくつくし 老いほうけけりつむ人なしに
赤羽のつつみにみつるつくつくし 我妹(わぎも)と二人つめど尽きぬかも
つくつくしひたと生ひける赤羽に いさ君も往け道しるへせな
赤はねの汽車行く路のつくつくし 又来む年も往くきてつまなむ
うちなけき物なおもひそ赤羽の 汽車往く路につくつくしつめ
痩せし身を肥えんすべもか赤羽に 生えんつくつきしつみにしあるべし

 さっそく、こよなく赤羽を愛する教え子、Kに送ってやる。文学青年だった、そして国語の教師だったご尊父はご存じだったに違いない。

 邦楽の時間には清元「神田祭」、明神下あたりの雰囲気。
バロックの森はペルゴレージュ。

「天の王国に」、「サルヴェ・レジナ ハ短調」「ソナタ ト長調」それに                                
「歌劇“奥様になった小間使い”から 第1部」セルピーナ…(ソプラノ)パトリチア・ビッチーレ ウベルト…(バス)ドナート・ディ・ステファノ(演奏)ラ・プティット・バンド (指揮)ジギスヴァルト・クイケン

  この最後の曲はインテルメッツォといって、オペラの幕間にやるコミカルな劇で幕間が2回あったので2部になっているという解説があった。昔習ったオペラ・ブッファの始まりかと思う。
                                                                                                                                
 夜勤のヘルパーはIさんだった。朝から甲斐甲斐しく働く。夜勤は看護婦2人、ヘルパー1人で、3階と2階を受け持っているとのこと。入院は57床とあるのでヘルパーは1人で最大57人を担当することになる。かなり大変。

 今日の朝食もゆっくりと、座って食べられた。お向かいのYさんと話もしながら。

 リハビリは午前、Tさんの高校のときの担任は早稲田の生物の卒業生らしい。56歳くらいと言うから、比較的初期の人だろう。今日、さっそくメールして知らせるというので、僕のメールアドレスを高野さんから知らせてもらうことにした。

 10時半ころにY看護婦さんが、「もうじきお風呂で、若い子ばかりでお世話してくれますよ」という。すぐにFさんとIさんがストレッチャーを持ってお風呂ですよーと迎えに来た。体を左回りに回転させてストレッチャーに移った瞬間、ストレッチャーがぐっと左に90度回転したのでびっくり、と思ったのは間違いで、眩暈だった。すぐに回復し、2階の浴室へ。本来順番は最後だったらしいのだが、布施さんたちが勘違いしたらしい。五分ほど待って、女性の次に入れてくれた。名前が分からない、氏名不詳の人とMさんの二人のヘルパーがストレッチャーの上でシャワーをかけて体を洗ってくれる。頭も洗って、髭まで当たってくれた。体を洗ってるときに、足上がりますかというので、1本目の足も2本目の足も上がるけど、3本目は上がりませんと言ったら、不詳の人は笑ったが、Mさんは「上がる」を「洗う」と勘違いした。「じゃーおまたはご自分で」といって、タオルを渡されて3本目の足は自分で洗うことになった。まー、そのほうがいいか。

 血圧は128と85、他のデータは訊き損ねた。

 午後、OSさんが来る。僕の好物と、彼が代表理事をしているNPO健康温水浴連合会を紹介したテレビ埼玉の番組のDVDを持ってきて下さった。

 今日、仰臥漫談を読み終える。得るところ大。


2010年6月2日水曜日

病床五尺 その19

6月2日 水曜日 晴れ

 眼がさめて少ししてNHKのFMを聴いたらバロックの森には似つかわしくない曲が聞こえてくる。変だと思ったら、少し時間が早くて「名曲の小箱」でパガニーニの「奇想曲 第24番」 バイオリンは加藤知子だった。
 さてバロックの森、今週はナポリの音楽と言うテーマで、今日はアレッサンドロ・スカルラッティの曲5つ:
「カンタータ“僕のクローリ、美しいクローリ”」 「チェンバロ協奏曲、トッカータ ニ短調」「同じく、トッカータ ト短調」「カンタータ、“オルフェオがそれを知ってから”」 「“コンチェルト・グロッソの12のシンフォニア集”から シンフォニア 第10番」、カンタータのソプラノはクリスティーナ・ミアテルロ、リコーダ、チェンバロ、ヴィオラ・ダ・ガンバの伴奏。優雅な曲ばかりだった。
 
 9時前にO先生が現れて、体を起こしてベッドのふちに腰掛けてみてくださいという。恐る恐る試みてみたら、案外痛みも少なく簡単にできた。これで車椅子、歩行と移って行きまそうとおっしゃった。やはり3週間の安静の効果ですねということだった。あとはまだ残っている痛みがどうなっていくかだ。僅かづつではあるが確実に減ってきてる。

 午後、元の同僚、数学のI先生ご夫妻がおいでに。ハーゲンダッツのアイスクリームとコーヒーをいただいた。 子規は「病床六尺」の前の病中日記「仰臥漫録」で介抱ということについて、「余の家に来る人にて病気の介抱は鼠骨一番上手なり 不快のときもついにうかされて一つ笑うようになること常なり 彼は話し上手にて談緒多きうえに調子の上に一種の滑稽あればつまらぬことも面白くきかさるること多し(中略)その上彼は人の話を受け継ぐこともじょうずなり」と書いてあったがI先生はまさにぴったりの人である。ただ残念なことに折悪しくMRIが入ってきてしまい、間もなくお帰りいただかざるを得なかった。お宅から数キロなので自転車か徒歩でまた来て下さるとのことだった。

 MRIの部屋まではストレッチャー、3人がかりのベッドからストレッチャーへの移動、ストレッチャーから撮影台への移動も今回はほとんど痛みがなくできてほっとした。
ただ密室で20分間動かずにいるのはかなりの負荷である。高い磁場がかかると、肌が僅かだがピリピリした。咳もくしゃみも幸いなことに、出なかった。終了した時はほっとした。ここの機械はGEの1.5Tの出力のものだそうで4年前に入ったとのこと。

夕食もベッドを傾けて、大声で同室のYさん、Kさんと話をしながら食べる。昼よりはるかに楽で食べ終わっても話が続けられたくらいだった。終わったら、流石の僕も少し喉ががかれたくらいだった。
 Yさんは小岩の生まれで、某有名会社、およびその子会社の社員だったという。僕のところに見舞客が多いので、僕は現役の会社員で見舞いは勤め先の顧客かなんかかと思ったとのこと。僕はエネルギーにあふれてますねとおっしゃる。本人はまったくそういうつもりはないのに。

 食後、O先生がMRIの画像を持ってきて見せてくださった。第二腰椎が後ろに飛び出して神経管を圧迫してる様子は認められなかった。これで最初の所見通りで、あとは再度押しつぶさないよう辛抱強くやっていきましょうとのことだった。
 写真はMRI画像の一枚。
上下に重なる糸巻き形のものが椎骨で中央の白っぽいのが潰された第二腰椎、上の黒っぽいのが第一腰椎、下が第三腰椎。右側の上下に長い真っ白な紐みたいのが脊髄の神経管。第二腰椎が後ろにはみ出して神経管を圧迫して潰している様子はない。これで大安心。


  
 周囲のすべての人たちに感謝したい。僕は恵まれています。

2010年6月1日火曜日

病床五尺 その18


6月1日 月曜日 晴れ

 ベッドの上に小さな四角に陽が当っているので晴れとわかる。

 今朝は5時半に目が覚めた。どういうわけかバロックの森を聴き損ねた。二度寝をしてたのかも。それに朝食も珍しく美味しく食べられた。

 朝食後、朝には珍しくO先生が見えて、今日はMRIをやるので体に金属は入ってないですよねと言う。X線で見た限りでは問題ないけど、神経との関係もみたいのでとのたまう。後になって、歯の金属はどうなのか訊かなかったのに気がついた。
 しかし、今日は混雑していて、明日の午前に延期、午後にO先生に手術が入ってるとの情報もリハビリのTさんから入っていた。
 今日はベッドを90度(実際は60-70度)くらいまで傾けて15分耐えられた。最初の30度10分よりかなり楽だった。Y看護婦さんが慣れたんですねという。午後も同じくらいやってみた。

血圧は122と84  酸素97% 体温36.5度。

昨日はなんと一時に7人もの人がお見舞いに来て下さり、ベッドの周囲が賑わった。その後もうひとり来たので総勢8人にもなった。色々と言い方を変えてみた。

五月晴れ臥床に友の多かりき
 友多し臥床の窓は五月晴れ
 五月晴れベッドの周りに友あふる
 五月晴れベッドの周り顔と顔
 五月晴れベッド周りの顔と顔

 昨日から「病床六尺」を読み始める。色々と同感するところが多い。看護のことについて書いてあったが、彼の方が僕よりも我儘で女性は男性に尽くすものだと思っている節が所所に認められる。時代の差か。
 病苦をいかにして乗り越えるかという精神上の問題を書いてあった章には得るところがあった。彼の主張する写生ということも面白かった。
 彼は若干35歳かそこらでこの作品を残し、最終章執筆ご3日で世を去ったという。精神年齢の大きな差を感じさせられた。
 
 午後、Aさんが、ついでF氏が来て下さった。お二人からそれぞれの故郷のお話、またF氏からは、加えて、ご両親のルーツや、それをたどった大洲への旅のお話をうかがい話が盛り上がる。リハビリのTさんが姿を現して終わりにした時はすでに4時半になっていた。

 夕方、ヘルパーのIさんから職歴の話を聞いた。保育系の高校をでて、保母さんを7年間やってたんだそうだが、3人目の子ができたので止めたという。その後、郊外店の夜勤のバイトを始めたが35のときに夜中の仕事はつらくなったので、独り住まいの老人の家に食事などを配達する仕事を始めたのだそうだ。そのとき、ただ挨拶だけで帰ってきてしまうことの疑問を感じて老人のことをもっと知ろうと思って介護の講習を受けてヘルパーの資格2級をとり、最初は公営の施設で働いていた。
 しかし、そこでの仕事は毎日、ただひたすらにポカリスエットを老人に匙で飲ませるだけで、その上、施設が不完全、老人の扱いが機械的だったりすることに疑問を持ったのだそうだ。それでそこをやめて、認知の勉強をして、縁があったこの病院に入ったという。いまはケアマネージャの資格を取るべく勉強中とのことだった。
 こうかくと簡単だが、感動的な話である。話の途中に「自分で勝手にそう思ってるだけだけど」とか、「わたしはばかだから」と言うような注釈が入るが、其れを含めて、社会に疑問を感じ、それを解決すべク実行に移すという、見事な人生を送ってきた人とわかった。

 今日は夕方、部屋のカーテンを広く開けてくれたので、窓がよく見えた(写真1と2)。






病床五尺 その17補遺

 Y氏から31日夕方、写真を送っていただいた。ご近所の親しい7人もの方々に囲まれて、本当に嬉しかった。この写真には撮影してくださったI氏は写っていなくて残念。