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2010年7月16日金曜日

リハビリ日記 その26

7月16日 金曜日 晴れ

 朝から日がさしいる。西日本では集中豪雨が続いているようだ。梅雨も終わりに来ているのだろう。5時半近くから散歩に出る。


 ムクゲが今を盛りと花をつけている。次に目立つのが夏の花、ノウゼンカズラである。この花には必ずアリが来ている。 線路沿いに外郭環状まで歩いて、芝富士小学校の門の前に出て、団地の元交番のところに抜ける。道端でトマトの花が咲いていたり、ブルーべリーの実がなっていたり、眼を楽しませてくれるものが多い。




 芝富士の公園のベンチに爺さんたちが数人集まっているところに、男の子を連れた外人らしい女性が通りかかる。さらにそこに犬を連れた人が加わって、面白い風景になり、公園の外からズームアップして何枚もの写真をとってしまった。








 
 午後の散歩はT氏とベルマンで用事がてら、お茶を飲んだあと、いっしょに20分ほど歩いた。朝と合わせて、歩いたのは1時間半くらい。




2010年7月15日木曜日

リハビリ日記 その25

7月15日 木曜日 曇りのち晴れ

 5時過ぎから、散歩に出かける。蕨高校往復。高校の前にはクラブ活動の宣伝の立て看板が林立している。帰路は路地を歩いてみた。
コルセットなしだったら、かなり腰が凝って来て、途中で2度ほど腰を降ろして休んだ。まだコルセットなしで長距離を歩くのは賢明ではない。
今日は朝から雲が切れていて、晴れ間が広がってきそうだった。午後には日も差して、梅雨明けも近いことを思わせていた。



中庭の隅に青い奇麗な花が咲いていた。




北町の路地でなんと、山吹の実を発見。歌には「みの一つだになきぞ悲しき」とあるのに、黒い実がついていた。そこで、Wikipediaを見ると"普通は八重咲き山吹には実がつかないことを述べた歌とされるが、「七重八重」を山吹が積み重なる様に咲く様子を述べたと解し、ヤマブキの果実が堅くて食えないので、「山ほど花が咲くのに、食える実がつかないのは情けない」とする解釈もある”と書いてあった。




 午後はまずT氏のところに、Windows 7 用の動画変換ソフトを入れてあげに行く。その後はT氏の Windows XP 用の Image Resizer の再インストールがうまくいかないというのを見に行く。User名を入力しなかったことが原因だったようだった。

 夕方、空が晴れたら、駅前の高層ビルがくっきりと見えた。昨日の霞んだ写真と並べてみた。





2010年7月14日水曜日

リハビリ日記 その24


7月14日 水曜日 曇り

 朝はかなり濃い煙霧。長徳寺の森がかすんで見えた。九州では集中豪雨があちこちであったようだった。幸いにこちらは降りそうになかった。

 5時20分過ぎに家を出て、要害通りの方に向かった。気温もあまり高くなくて気持ちがいい。木槿や立ち葵の花に雨滴が付いて奇麗である。





 約30分歩いて、ほかの道を通って帰る。約1時間の散歩だった。

 帰宅して窓から外を見ると、駅の向こうの高層ビルの上部が雲高霧高に包まれて見えなかった。


 9時半ころ家を出て、南浦和、西国分寺経由で立川に向かう。駅で河野氏と落ち合って彼の家に。3時ころに帰宅。




2010年7月13日火曜日

リハビリ日記 その23

7月13日 火曜日 曇り

 5時過ぎに散歩に出る。今日は蕨神社から三学院を回った。蕨神社の池の縁はカルガモの育雛のために立ち入り禁止になっているが雛の姿は見えなかった。池の縁の茂みの陰にでもいるのだろうか。北町のスポーツセンターの裏には田中昭の彫刻がひっそりと立っている。


 午後の散歩は4時半過ぎから。芝富士あたりまで行って戻る。団地の外れでツマグロヒョウモンの雌が飛んでいるのを見かけたが、写真に撮ることはできなくて残念だった。先日も飛ぶ姿をちらりと見たのだが。団地の裏にはヘクソカズラがたくさん花をつけていた。



今日は午後1時ころから5時半ころまでずっとコルセットなしで過ごせた。


リハビリ日記 その22

7月12日 火曜日 曇り時々雨

 今日は外出するので朝の散歩はスキップ、本当は何があっても習慣としてやるべきなのだが、情けないことにまだ自信がない。

 雨の中を順天堂大学医学部越谷分院へ小林茂人先生の定期検診を受けに。骨折の報告をし、骨粗鬆症を防ぐ薬を処方してもらう。英司先生の容体、牧人君の近況をきく。先生は面会できる状況ではないとのこと、牧人君は最近、天皇へご進講をしたとのこと。水産学会賞がらみのことだろうか。
 行きにヤブカラシの花にフタモンアシナガバチが止まっているのを見つける。小雨で強風という条件だったが、何とか同定できる程度の写真になる。



 いつものように、受付を済ませてから駅に戻って京樽で昼食をし、コーヒーを飲んでから1時少し前に再び病院へ。今回は午後の3人目の診察だった。 3時ころに帰宅。

 夕食後、空が明るくなったので散歩に出る。今日はコルセットはなしで。青空が現れた。天気予報では終日雨のように言っていたと思うが。



 2号棟の下の植え込みの間のアスファルトの上をコシアキトンボらしいのが1匹、すごい速度で飛びまわっている。しばらく見ていたがやがて飛び去ってしまった。なんでこんなところにいたのだろう。

 団地よりの道路には今日も焼鳥屋が出ている。ほぼ毎日出ているのだが道路占有許可をとっているとは思えない。T氏はここの発電機がうるさいと注意しに行ったそうだが、警察との関係に怪しげなものがあるのではないだろうかと彼と話しあったことがあった。でも味は悪くないそうで、結構立ち寄る人もあるようだった。



 帰路、夕焼けが奇麗だった。






2010年7月12日月曜日

リハビリ日記 その21

7月11日 日曜日 曇り

 朝の散歩は蕨高校の先まで往復した。暑い日でなければ森乃泉まで歩けそうな気がした。


 昼すぎまで、そのまま起きていたら、腰が凝ってきたので休む。午後2時半ころから散歩に出たが、雨がぱらついてきたので団地付近までで戻った。
 芝園小学校のところでアザミの綿毛の実に気がついた。この前から見かける綿毛はこのアザミのものだったのだ。




 帰路、北町の路地のイノコヅチの葉に食痕があるので、よく見たらオンブバッタみたいなのが3匹止まっていた。写真はそのうちの1匹。

 
午後の散歩のとき、団地のクスノキの枝で2羽のアオスジアゲハが戯れている。雌雄なのだろう。1羽が葉に止まったようだった。高いところなので、いっぱいにズームアップして撮ってみた。ほかにももう1頭見かけた。



 梅雨とはいえ、すっかり夏の気配になってきた。


リハビリ日記 その20

7月10日 土曜日 晴れ

外出。


 有楽町駅前の広場の通水性タイルの一枚に千代田区のマークと下記のような文字が刻みこまれていた。

有楽町駅前広場築造
昭和二十二年二月二十日
戦災復興計画決定より
約六十年を経て
平成十九年十月十日

 昭和22年というのは日本の敗戦からわずか2年の後のことだった。





 有楽町は昭和26年に亡き父と初めて(そして最後に)路地の飲み屋に入って二人でお酒を飲んだ場所である。19歳だったが大学生だからもういいだろうと父が言ったこと、酒を飲むには銀座や新橋は高いところがあるから気をつけろといったことが記憶に残っている。


リハビリ日記 その19

7月9日

少し寝坊して、散歩に出かけるのが6時過ぎになってしまった。

 なんと、ツバメの巣が空になっていた。昨夜か今朝早く巣立ってしまったのかもしれない。しかしよく見たら尻尾の先が一つだけ見えている。1羽、残っているのかもしれないが、尻尾は動かない。 後で聞くと、最後の一羽がこの朝飛び立ったということなので、この尻尾の鳥だったのだろうか。

 昨日の飛翔練習中の雛の写真



巣立ち直前の3羽の雛、初めは4羽いた。




雛は飛び立ったが、こっちはまだリハビリ中。歩けはするが、長時間は無理だし、走るのもまだ。ツバメの雛には及ばないのが残念。