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2010年5月29日土曜日

病床五尺 その15

5月29日 土曜日 曇りときどき雨と言う

バロックの森はテレマンの曲だった。

 昨夜も同室のだれか尿道結石が出たとかで騒いでいたので眼が覚めて、そのあとしばらく眠れなかった。コーヒ豆くらい大きいとか。

 今日はリハビリもないので午前中は静か。いよいよ、ダン・ブラウンの「ロスト・シンボル」を読み始める。ダビンチ・コードは僕にとっては何が何やらわからなくて、ちっとも面白くなかった。これも似たようなものかもしれないが、入院中の時間つぶしにはもってこいかも。



 午後、ベッドを35度くらいに立てて、30分間座れた。夕方、もう一度やりましょうねと、看護婦さんがいってくれた。

 今日の一句: 友を待つ病床五尺窓若葉


2010年5月28日金曜日

病床五尺 その14



5月28日 金曜日 晴れ

 5時ころ眼が覚める。1時ころに同室のYさんがなんかで大騒ぎをして目が覚めたので、今朝は目覚めがすっきりしない。壁と、立て掛けてあったパソコンに日がさしている(写真1)。


                
FMを聴くことにしたら、例の弾き語りフォア・ユーのにやけたお兄さんの声と、にやけたピアノが聞こえてくる。題からして気に入らない。「貴方のための弾き語り」や「貴方にささげる弾き語り」もっと簡単に「貴方の弾き語り」でどこが悪いんだ。 目覚めが悪いんで機嫌も悪く当たっている。

  今日の血圧はY看護婦さん、150に88とこれまでで最高。体を拭いた後で、ちょっと寒くて血管が収縮しているのかもしれない。車椅子はO先生(写真2)の外来が終わった午後になるみたいだ。


 午後、ご近所のM氏夫妻が来て下さる。ご夫妻とも素敵な隣人で、いろいろお世話になっている。

 夕方、ベッドを30度、ついで45度まで曲げてもらう。10分もしたら腰がつらくなったので、戻してもらった。O先生が来て報告したら、では土日と体を慣らして90度になったら車椅子にとおっしゃる。

 5時ころに看護婦さんが「可愛い女性が面会ですよ」とMAさんを連れてきた。Sumi Joなど音楽のCDを持ってきて下さった。そろそろ彼女じゃないとという、しっかりしたレパートリを決めるといいというようなことを話した。8時過ぎるまで夢中に話しあった。


2010年5月27日木曜日

病床五尺 その13

527日 木曜日 曇り

 今朝はブログとミクシーの昨日分の日記を書いていたので、バロックの森を聴き逃した。
昨夜はなかなか寝付かれなかったのに、5時ころに目覚めた。
 血圧は136に80、体温37度、血中酸素96。測定の看護婦はYDさん、級友Y君と同姓。顔の感じも似ている。

 同室のSさんは日曜日に退院するようだ。彼は脳梗塞の軽いので入院。あとは自宅でしっかりリハビリするように言われていた。タバコは1本でも吸うべくきでないが、お酒は自分で量をコントロールできれば1合くらいまでならいいといわれていた。後で、奥さんが来て彼がそういったところ、奥さんが信じない。飲みたいから嘘言ってるか頭がおかしいいんだとか言って、いびっているので、援軍を出してあげた。早く働きたいが半端仕事しかなくてと嘆いていた。

 昼食は筋肉みたいのが出てきたが、肉は比較的まれなので美味しく食べられた。

 午後、同室のYさんが一番古手らしい看護婦さんと話をしているのが聞こえてくる。彼は、さる15日に元の長崎屋のところにできたドンキホーテに自転車で出かけて、入ろうとしたら、眼がくらくらとして意識を失って転んだらしい。痛くて立てなかったが、通りかかった人が声をかけてくれたので、タクシーを呼んでもらって、家に帰ろうとしたそうだ。しかし痛みが増してきて、家に帰っても歳とった女房じゃどうにもならないと思って病院に連れてきてもらったという。鎖骨の骨折で手術をしたそうだが、車椅子には何とか乗れるみたいだ。何度もこんなことで情けないと看護婦にぼやいていた。


朝、左眼が痒くて、目やにが出てるみたいで気持ちが悪かった。Y看護婦さんにいうと疲れ眼じゃないかと言ったがO先生に連絡してくれた。
昼食時に、O先生が来てくださり、眼を見て、点眼薬出しましょうといって、そそくさと出て行かれた。恰好からみて、外来の診察の合間のようだった。
1時間ほどして、Y看護婦さんがグラビット点眼液0.5%%を持ってきてくださった。さっそく、さしていただいた1滴が、かなり眼に滲みる。結膜が炎症を起こしているのだろう。




  ベッドで伏し目になって左下の方を見ると、窓の一部が見えた。外は明るく日が照っているようだ。どこにも出られないのが悔しい。


 今日のリハビリはTさんが休みなので、代理のSRさんと言う若い人が来る。若いだけあって、力いっぱい出来て気持ちがよかった。

 午後は今日は誰も来ないかと思っていたところOSさんが思いがけず来て下さる。川口の戸塚のプールに行った帰りに立ち寄ってくださった。中高年の人たちの水中運動のNPOだそうで、その話を色々とうかがえて面白かった。実に立派なことをやっておいでだと、感心した。妹さんのところで栽培されたという、非常に美味なトマトを頂戴した。



 夕食には嫌いなサツマイモが出たが我慢して食べてしまった。食後、MA嬢から携帯にメールがあって。明日、お見舞いに来て下さるそうだ。



 僕のなじみのベルマンのお菓子を買ってきて下さったり、白いお握りでは味気なかろうと、海苔やふりかけを買ってきて下さったり、窓の外が見られないのならと、写真をとって見せて下さったり、美味しいコーヒーをわざわざ淹れてきて下さったり、香りのいい花や新鮮なトマトを下さったり、僕の好みの本を的確に選んで持ってきて下さったりと、皆さん一人ひとりのお気持ちが細やかですごく嬉しい。僕は病んでいても素晴らしい方々に囲まれて、幸福なんだとつくずく感じた。




病床五尺 その12

5月26日 水曜日

 5時起床。
 バロックの森は
1)ブクステフーデの前奏曲とフーガ、ト短調
2)シュテルツェルのカンタータ「ここに神の愛が現れた」
3)ブクステフーデのコラール前奏曲“来たれ聖霊、主なる神よ
4)バッハのカンタータ 第174番“わたしはいと高き方を心を尽くして愛する”

 今日の看護当番はHさんと、初めてのIさん(写真)。

 Hさんは親切で細かいところに気がつく人で、薬や吸い飲みなどを僕がとりやすいところにおいてくれる。もちろん、ほかの人だって、不親切ではないのだが。

血圧は137と87、リハビリの手足の運動の直後だったので、少し最低が高めか。

 今日はじめて、新たに一昨日入ってきたYさんと話をした。彼は80歳、自転車に乗っていて、急に意識がなくなって転んで、鎖骨を骨折したという。昭和6年生まれとのことだが、計算が1年おかしい。5年の聞き間違いかも。

 午後、T氏が雨の中を来て下さった。申し訳ない。すぐその後にN夫人がラベンダーを持ってきて下さる。雨だから誰も来なくて静かだろうと思ってとのこと。さらにその後に家人まで。皆で賑やかに話が弾んだ。


T氏が撮って見せてくださった窓外の写真





N夫人持参のラベンダー








2010年5月25日火曜日

病床五尺 その11


5月25日 火曜日 晴れらしい

 朝のバロックは、バロックの森と名が変わっていた。変えた理由が分からない。今週前半は「精霊降臨祭」にちなんだ曲とのこと。

「ロザリオのソナタ集から ソナタ 第13番聖霊の降臨」 ビーバー作曲
「コラール前奏曲来たれ聖霊、主なる神よ」 トゥンダー作曲
「カンタータ霊に満たされて歌え」   シュテルツェル作曲
「カンタータ 第172番歌よ、響けBWV172」 バッハ作曲
 4曲中バッハがやっぱり一番聴きごたえがあったが、トゥンダーのオルガン曲も悪くなかった。もっともこれは僕がオルガンが好きなことによるのかも。

 山本からメールの返事が来る。病床五尺にたいする感想に「それから、君の文章は実に素晴らしいですね。おそらく思いつくままに書いているのでしょうが、きつい目を見ているなーと感じながら読んでいても途中であるいは最後にほっとする文が出てきます。例えば、救急車の件で最後の <車にお金をかけてないのだろう 。> 本人は苦しんでいるにもかかわらず僕には何かしら一寸した安心感で読み終わります。」とあった。思いがけない感想だったので、理由を考えてみた。
 僕は何かあると反射的にその理由を考える習癖がある。そして、質問を発する。理由が分かると満足、すなわち心が満たされて、多くの場合、気持が穏やかになるのだと思った。それが文章に出るのだろう。と書いて、このことも同じだと気が付く。もっとも、理由が分かって、怒り心頭に発するなんてこともまれになくはない。最近は歳をとったので怒ることはほとんどなくなったが。たちの悪い人、意地の悪い人がいても、その人がなぜそうなったのかを解析すると、許せる気持ちになってくる。
 もっとも許してばかりいると、世の中に悪がはびこるという意見もあるだろう。許したら、そういう悪い人が生じないようにするには、どうすればよいか次の方策を考えるべきだろう。
 と、ここまで考えたら、バロックの森も終わり、朝刊が配達された。さて、新聞でも読みますか。

 
 昨日はYOさんと言う人がTさんの後に入ってきたが、今日はYさんがほかの病室に移って、入れ代わりにSさんと言う人が入ってきた。二人とも60代くらいで勤め人風。言葉も標準語である。Sさんは今までいた部屋がうるさいくて眠れないということで移ってきたらしい。彼は自分で車を運転して来たらしく、事故でも起こしたら危険ですから救急車を呼ぶべきだったとY看護婦さんからたしなめられていた。

 今朝の血圧は133に65、体温36.5、酸素96。

 今日は眩暈がいつもよりひどい気がしたので、原因を考えたところ、薬の副作用ではないかと思って看護婦のYさんに相談してみた。 彼女の手配で、薬剤師の人が来て、薬は鎮痛薬ロキソニン、筋弛緩薬ミオナール、胃薬ムコスタ錠で、副作用の眩暈は動揺性のめまいのよううだという。大井先生とも相談したうえ、場合によっては鎮痛剤を変えてもいいということになった。

 手術を終えた大井先生が来て、頭を回転させて眩暈を起こさせたときの僕の眼球を観察した。その結論。
 僕のめまいは動揺性でなく、回転性の一時的なもので、前庭器官の小石の一つが三半規管に入り込んで、それが頭を曲げると動き、それにつれて三半規管のリンパが流れるので、眩暈になると説明してくれた。そのうち、小石がどこかに引っかかって3週間から1月半くらいでたいてい治るから心配なしということ。
 検索してみたら良性発作性頭位眩暈症(BPPV)という名で、発症原因は不明と書いてあった。


  午後、河野が来てくれた。法隆寺瓦撮影計画を話したら、大賛成をしてくれた。気合が入った。法隆寺には波兎、滑稽な肛門のある獅子、法螺貝、流れに紅葉、龍、など素敵な止め蓋があるので、全治したら、1週間、泊まりがけで法隆寺に撮影に行く計画である。そうすれば、最良の光条件で撮影が可能である。いまから胸が躍る。

2010年5月24日月曜日

病床五尺 その10

5月24日 月曜日 予報だと終日雨

今日の朝のバロックは、バッハ オラトリオ 第11番 神をたたえよ(昇天祭カンタータ)、ドイツ語の歌詞が理解できないと、あるいは内容が分かってないと面白さが今一つ のように感じた。次の曲は聴き損ねた。

今日はY看護婦さんの身の上話を少し伺った。山形県生まれだそうだが、幼くして親をうしなって、あちこちを転々として苦労したらしい。美容師をしていたのだそうだが45歳のときに離婚して看護学校に行き、看護婦になったという。立派な人柄はそういった苦労のたまものだろうと思った。この世の厳しさと同時に、本当の人の情けを知っていることがお話からうかがわれた。

新たな看護助手が出現、YOさんという。中高時代の親友と同姓、顔まで似ている。なんと、我が家から近い、S町に住んでるという。通勤は車で20分ほどとのこと、ただ、今日は途中のサッカー場で試合があるので、道が混みそうだといっていた。

2日前に空いた向かいのベッドにY氏というのがやってきた。2階の病室から、移動してきたらしい。看護助手の人たちが何故か身長を測っている。170cm。高いと思ったけど、それほどじゃなかったと言っている。

K氏も近く老人ホームに移るらしい。歩行訓練など、リハビリを盛んに行っている。皆さん、転んだりして腰などを痛めて歩けなくなって入院してきて、治療やリハビリである程度回復までもっていき、自宅や老人ホームに移っていくようである。

介護風景


食べるのが不十な人には食べさせてあげたり、根気よく優しく看護・介護にあたっている女性たちは底抜けに明るい。




2010年5月23日日曜日

病床五尺 その9

5月23日 日曜日 曇か

 6時前に洗面所からのシェーバの音で目が覚める。はた迷惑である。
朝のバロックは、まずヘンデルのリコーダ・ソナタ、ト短調、気持がよく、朝向き。2曲目はテレマンのターフェルムジークだ2集から、協奏曲ヘ長調。いかにもと言う感じ。3曲目、ルベルの田園の楽しみ、どこかヴィヴァルディの四季風の感じがする優雅な舞曲。最後の曲はラモーのカンタータ焦燥。ヴィオールとクラブサンの伴奏でソプラノ。

 窓の外からの風が涼しい。気象情報によると、曇りのち雨、東京の最高気温19度と言う。
 夜勤の看護助手、Iさんが来る。昨夜は延べ200人のおむつの世話をしたそうだ。疲れたしかし、どこか幼さを残した顔をした人。

 血圧・体温・血中酸素の測定はSさん、血圧は136、58と最低がやや低い。体温は36.6、酸素は98。
 彼女は国家試験通って看護婦になって3カ月とのこと、初々しいわけだ。若くてほっそりしているが、それでも試験勉強中に肥ったので歩くように努めているという。しばらくおしゃべりの相手をしてくれた。優しい。 



 Yさんの奥さんが来た。典型的な北関東アクセント、「ことばがでてこねーんだもん、なー」「いごーーか?」「あぐしゅしたなんて、いてるよ」「たべてみな、おとーさん」などと。素朴。退院許可が出たらしい。入院6カ月、月末退院とのこと。

 午後、教え子の最近教授になりたてのK君が来てくれる。色々と話が弾んで7時ころまでいてくれた。パソコン、カメラ、共通の知人、昔話と話は尽きなかった。


 枕もとの、昨夜お見舞いにいただいた花