11月10日 木曜日 曇り
昨日、ある方の学会講演の英文の講演要旨を書くお手伝いをした。専門は違っても今はインターネットの検索で色々な分野の専門用語が簡単に調べられるので楽である。大学院の頃に、指導教授の竹脇潔先生に論文を直していただいた。中学高校大学(教養過程)と8年間も英語を学んだのに、いざ英語で何か書こうとすると手も足も出なかった。8年もの間、何をしていたのだろうと恨めしかった。今更、英語の先生方を恨んでも何も役に立たないので、人様の書いた文を引き写したり、自分でさえ訳のわからないことを苦し紛れに書いたりと、一月近く悪戦苦闘して処女論文の原稿を先生に提出した。先輩の助言でA4レポート用紙に2行おきに書き、1枚ごとに同じ大きさの白紙をレポート用紙の右側に貼り付けて提出したのである。
一月かかって仕上げたその原稿はなんと一晩で私の手元に返されてきた。恐る恐る開いてみると、なんとどのページも、いやどの行も、真っ赤に先生の訂正が入っていて、ところによっては、何行もがバツ印で消されていて、横に張った白紙の方にその部分を完全に書き換えてくださっってあった。要するに僕の書いた部分はほぼ完全に姿を消しているに等しかった。
同室だった助手の高杉さん(後に横浜私立大学学長になられた)がどれどれと覗き込まれた。恥ずかしさと口惜しさで呆然としている僕に、高杉さんは「おー、だいぶやられてるねー」と嬉しそうにおっしゃった。「僕は弟子の中では最低でしょ?」というと、高杉さんは「なーに、みんな同じ目にあってるんだよ、一番酷かったXXさんなんかは、君はどうしようもないから、日本語で書いてきなさい、僕が英語に書き直してあげるからと先生にいわれたんだから、それにくらべらいいじゃないですか」と慰めてくださった。
これを清書して、また縁に白紙を張って先生に提出して、見ていただいた。こういったことを、3回くらい繰り返して手書きの論文が完成すると、図書室の女性の方にタイプをお願いして、それに目を通し、ミスタイプなどを調べて、更にもう一度先生に見ていただくのだった。
こういった苦労を何十回繰り返したであろうか。提出すると先生はたいてい一晩で見てくださるので、清書して再提出するのも必死だった。時には、訂正と同時に、「何度同じ間違いをするのか!」とか、酷い場合は「小学生の英語!」などの叱責が入っていた。しかも、英語だけでなく、もっと重要な、論文としての構成などにも、先生の厳しい目は行き渡っていた。このようにして、英語と同時に論文というものの書き方を先生は叩き込んでくださったのであった。
当時、総勢で10人くらいいた講座院全員の論文をこのようにしてみてくださっていた先生は、大変だったろうと思う。今でも亡き先生に頭が下がるのである。
このようにして、直してくださった数十篇の赤字だらけの原稿は、大学生活を離れる日まですべて座右に保存してあって、ときどき眺めては、先生に感謝するとともに、わが身の戒めとしたものだった。
今の私は先生が亡くなられた年齢さえ超える歳となっているが、先生には、その足元にさえ及ばない。昨日、人さまの論文のお手伝いがなんとか出来たのも、先生のお陰なのである。
今日は鬼沢橋コース、今日もかなり気温が低く、昨日から長袖のシャツにした
5時35分、予報では曇りというが晴れ間もあるようだ
緑川のカルガモ夫婦
花梨通りで見つけた菊
車のドアに
せせらぎ公園の黄菊
シロシキブ
ススキの穂