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2011年11月5日土曜日

Susumu の日記 2011年 -286-

11月5日 土曜日 霞んでいる

西川口駅コース。気温がやや高く寒さを感じない。明日から雨になるという。


5時37分の東の空、まだ暗い





中庭の山茶花は暗い中での街頭の光で撮るのもまたよい






ネコジャラシは線路際が似合う




クコの実、




南町の外れの木瓜、まだ葉があるのにもう満開になっている




南町ではツツジの蕾が出ていた。狂い咲きのようだ




中庭で一輪だけ咲いたホトトギス、昨日よりきれいになった




かなり霞んでいる




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2011年11月4日金曜日

Susumu の日記 2011年 -285-

11月4日 金曜日 起き抜けは曇っていたがすぐに晴れとなる

六辻第一コース。気温はあまり低くない。


ハゼの紅葉が始まる

九州にいた子供の頃はよくハゼにかぶれた。かぶれるということを知らずに、友人の悌二君にくっついて、野山を歩き回ったからだった。その頃のことである。右足の足首の上あたりにかぶれができて、病院で薬を塗ってもらった。ところが、病院で薬を塗るたびにかぶれが酷くなる。そこで、病院に行くのを止めて売薬に変えたら、さっと直ってしまった。

その頃、僕はブリやイサキなど何種かの特定の魚を食べると体中の皮膚に蕁麻疹が出た。蕁麻疹がでるときはまず唇の辺りがはれぼったくなるのですぐに分かった。中学2年の頃に本屋でアレルギーに関する本を見つけて、アレルギー反応というのがあることを知り、抗ヒスタミン剤として、レスタミンというのがあって、それが効果があることを知った。以来、常にレスタミンを持ち歩いていた。

後に、気管支炎を起こしたとき、ダイアジンというズルフォンアミド剤の注射を受けたら全身にひどい発疹ができて、注射をした医師が慌てた。そこで、この足のかぶれの話をし、僕には魚アレルギーがあることを話した。医師はすぐに抗ヒスタミン剤とカルシュウムの注射をしてくれたので、発疹は直ちにひっこんだ。以来、病院に行くたびに、このアレルギーのことを医師につげるようにした。
幸い、いまは何を食べても蕁麻疹は出なくなったし、抗菌剤が発達してズルフォンアミド剤は姿を消した。幸い、ペニシリンやストレプトマイシンに対してもアレルギーはなかった。




花梨(カリン)の実、北町で

花梨は早春に可憐な花をつける。実は花に似ず、巨大になり色づくと目立つ。蕨市と戸田市の境辺りに、花梨が並木になっている花梨通りというのがあって、春と秋は通るのが楽しみである。早稲田通りの早稲田大学と高田馬場の駅の間あたりのちょっと引っ込んだところにも大きなカリンの木があった。いまは姿を消してしまっている。
花梨の実は砂糖煮にすると咳によく効くと聞いている。食べたことはない。





ネコジャラシ、北町の駐車場で

Wikipediaによると「花穂に似ていることから、犬っころ草(いぬっころくさ)が転じてエノコログサという呼称になったとされ、漢字でも狗(犬)の尾の草と表記する」とあった。





柿の葉、色が素敵だった

子供の頃、わが家の庭には富有柿の木が1本あった。秋には沢山実がなってそれを取るのが楽しみだった。生垣を超えて柿泥棒が来ることがあるかもというので、兄と二人で柿の木の手前に落とし穴を掘っておいた。
翌朝のことである。庭で大声がするので兄と飛び出してみると、長い竿を持った父親が片足を落とし穴に突っ込んで立ち往生していた。




テイオウダリアの蕾、辻で

テイオウペンギンというのは有名だが、最近はテイオウダリアというのをよく見かける。初めて見て、名前を知ったのは立川の昭和公園だった。以来、あちこちで見かけるようになった。



コントラスト

文蔵に見事な大輪の菊をつくっているお宅がある。これはその中の二色の組み合わせ。




嵯峨野という菊だと思う

数年前、秋に京都の嵯峨野に行ったら、この菊があちこちに植えてあって見事な花を咲かせていた。このところ、京都にはずっとご無沙汰である。残念。




ジョロウグモ

東京都立大学(いまは首都大学東京とかいう)の非常勤を長い間やっていた。まだ大学が世田谷区の深沢だった頃からであるからかなり長かった。その前、都立大学は東横線の「都立大学駅」近くにあった。この駅は確か、その前は「府立高校」という名だったと思う。都立大学の前身の旧制高校の名である。

今は八王子市の南大沢にある都立大非常勤勤務の最後のころであった。構内にかってこの丘を覆っていた雑木林の一部が残してあるのだが、その縁に、このジョロウグモがずらりと並んで巣を張っていたのを見つけた。数日間の集中講義の通勤のさいに、このクモと巣を眺めるのが楽しみだった。




鳥海邸の三椏(ミツマタ)の蕾

よく知られているようにミツマタはコウゾとともに和紙の原料に使われてきた。その名の通り、枝が三つに分かれているので、葉が落ちた冬から春にかけては見るとすぐに分かる。早春、葉が出る前によく目立つ特徴的な花をつける。その蕾が葉がまだ落ちなくて緑色のときから出来ているのに、初めて気がついた。

ミツマタはあちこちの公園やお寺、さらには個人の家の庭などで咲いているが、北鎌倉の浄智寺には、普通のよりかなり大輪のミツマタの花が咲く。大輪といっても、ミツマタの花は小花がいくつも集まって咲くのであるが、その集まった一塊が、このお寺のはかなり大きい。小花の一つ一つも大きいのだろう。
皇居東御苑にもこの木があるが、大手門の入り口から入っていくと右手に休憩所兼売店とお手洗いがある。このお手洗いの前の植え込みにもミツマタがあるが、ここには花が赤っぽいのがある。やや小さめの花だが、色が派手なので目に付く。





赤い花の合歓、芝富士の路地で

白秋の作品の中に「かささぎ」という詩がある。「ふるさとの合歓の木陰を流れ行く水の音なり」で始まる。九州には合歓木が多い。とはいえ、埼玉県でも結構あちこちで見かける。しかし、この花の咲く木は、見ての通り、葉は普通だが花が真っ赤である。栽培品種なのだろう。希に見かける。

中国は北京にある北京農業大学の構内でも路上に合歓の花が落ちているのを見つけたことがあった。




団地のグランドの紅葉と黄葉

一昨日、吉崎美園会会長に出会ったが、上高地にお出でになったのに、もう紅葉は終わってしまっていてがっかりされたとのことだった




我が家のベランダに来ていたアキアカネ(たぶん)

普通いるアカトンボのアキアカネとナツアカネはよく似ている。http://map.edb.miyakyo-u.ac.jp/akatombo/p06.html に区別の仕方が書いてある。ほかにもよく似ているのにマユタテアカネとか、タイリクアキアカネとかがいる。

大学1年か2年のときだったと思う。青函連絡船に乗っていたら、本州から北海道に同じ船に乗って向かっているナツアカネがいた。当時の厚生省予防衛生研究所の昆虫部長でトンボの専門家として名高い朝比奈正二郎先生にその話をしたところ、何か雑誌のこのことを書いて下さったと記憶している。先生は大学の同じ学科の大先輩でもあった。予防衛生研究所に就職の機会を下さったこともあったのだが、諸種の事情でお断りしてしまったことは申し訳なかった。




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2011年11月3日木曜日

Susumu の日記 2011年 -284-

11月3日 木曜日 文化の日 曇りのち晴れ

朝は曇っていた。この10年間の文化の日(11月3日)は晴れが7回だったそうだ。かっての明治節の日。明治どころか昭和も遠くなりつつあるが、怪しげな復古思想の歴史教科書を使わせようとするような人たちはいまだに後を絶たない。人間は過ちを繰り返すのが本質なのだろうか?


5時46分の東の空は曇っていた




ハナミズキの葉がすっかり赤くなってきた




クサギだろうか




薔薇は開いた花は豪華で良いが、開く前もまた美しい




 小谷場の遊水地、葦がすっかり刈られてしまっていた。ここに来る鳥たちが年々、数が減っている。かってはオオヨシキリが何匹も鳴いていたし、ゴイサギの姿や、オオバンの姿を見たこともあった。池で釣りをする人の姿も見なくなったし、中央に残土の捨て場ができたりして、池も消えつつあるようだ



ヤツデの花が咲き始めた。典型的な冬の花。高校生の頃に、ヤツデが本当に八つ手であるかどうか、葉の出っ張りの数を調べたことを思い出した。あの頃は、何に対しても純粋に疑問を持つことができた。かつ、実証的だった。そして、毎日毎日が感激に満ちて幸福だった





 小谷場阿弥陀堂の六地蔵、菊の花があげてある。ここのお地蔵・観音堂にも、小さな不動堂にも菊の花があげてあった。ここには本堂はなくて普通の民家風の建物があったのだが、10年以上前だったと思うが、立派な本堂が建てられた。地域の人たちが大切にしていることが分かる



桜の葉も色づき始めた。鋸歯が目に付く。




芝園団地のグランドではよく太極拳をしている人を見かける。健康法としてやっている人もあるようだが、本当に効果があるのだろうか? 心理的効果は別として。

 団地の中国人たちは屋外にいるのが好きなようだ。朝もグランドで座っている人たちをよく見かけるし、昼間は団地の中庭に集まって立ち話をしていたりするオバサンたちを見かける。日本人も昔はやく屋外に出ていたが、最近は用事で出かける以外に、あまり屋外に出ている人を見かけない。何故だろう?




中庭のホトトギスの蕾がかなり膨らんで、色づいてきた。開くのも近そうだ



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2011年11月2日水曜日

Susumu の日記 2011年 -283-

11月2日 水曜日 晴れ

秋晴れで気温も比較的高い日だった。今朝は寝坊してしまって、昼前に文蔵から辻まで散歩に行った。


団地のグランドの縁の桜





皆さん、コアラが大好きです。一時は大騒ぎされたが、日豪友好の思いが覚めたいまでは?




ユズリハに実がなっているのを見つけた、ユズリハの葉は正月のお供えにはつき物だったが




ハマボウフウの花、数年前の夏にこの葉に数匹のキアゲハの幼虫がいた。キアゲハの幼虫はニンジンやハマボウフウを餌とするが、今はニンジン畑が減って、この辺りでは姿をあまり見かけなくなった。幼虫は派手な縞模様をしていて、目立つ。翌日もう一度見に来たら、一番大きかった幼虫の姿がない。よく見たら、ハラビロカマキリらしいカマキリが一番大きい幼虫をすでに半分以上食べてしまっていた。そんなことを思い出して、よく見てみたが、キアゲハの幼虫の姿はなかった。




文蔵東橋のところにいたカルガモ夫婦、この鴨は定着性で渡りはしないようで、この辺りでは一年中よく見かける。一昨年は蕨神社の池で繁殖したが、このところはやってこない。




枇杷の花の蕾が出てきた。枇杷の花は冬に咲く。ヤツデも冬に咲くが、昨日、蕾が出ているのを見つけた。




辻の理容店の壁に「石敢當」と書いた石板が張ってあった。沖縄に行くと、街中の道の突き当たりの家の前にこの文字を書いてある石柱が立ってるんです。魔よけなんだそうです。京都や奈良に多い鍾馗瓦にも突き当たり鍾馗といって、同じ役をしてるのがあります。
それがなんでここにあるのかは不明ですが、新しそうなので、ここの家の方が沖縄出身なのかもしれません。都内にも雑司が谷に石敢當がある家があります。





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2011年11月1日火曜日

Susumu の日記 2011年 -282-

11月1日 月曜日 晴れ

今日から11月、以前は、年に2回、春と秋に一度ずつ風邪を引くのが通例だった。11月と5月の連休は、もったいないことに風邪で寝てることが多かった。

それがここ10年くらいは恒例だった春と秋の風邪を引かなくなった。二つの理由が考えられる。一つは現役を退いて、外出が減ったこと、ことに学生が大勢いる授業がなくなったことが考えられる。
もう一つある。それは10年ほど前から、外出した場合、帰宅すると必ず手と顔を洗いうがいをすることにしたのである。

どちらが原因かは分からないが、とにかくこのところ、ほとんど風邪を引かない。前者の原因で風邪を引くのも、後者によって防がれるように思う。レポートや試験の採点をした後に風邪を引きがちだったが、おそらく試験用紙を通して感染していたのではないかと推察している。

ここまで書いて気がついたことがある。第三の原因がありうる。それは年をとったことである。長い間に色々なウイルスやバクテリアに何度もさらされて、それらに対する抗体が出来たので風邪を引きにくくなった可能性である。

年をとると、美術舘や博物館が無料になったり安くなったりするだけではない。こういうメリットもありうるのだ。


5時30分頃の東の空、今日も秋晴れのようだ




明け方のコンビニ

今から30年近く前のことである。ここのコンビニで夜中に1人で店番をしていたご主人が強盗に殺されるという事件があった。朝早く、被害者の確認に呼び出された奥さんの悲鳴で気がついて、事件を知った。
そこで、急に心配になったことがあった。当時大学の1年生か2年生だった次男が昨夜というか夜半過ぎに帰宅していた。彼が小遣いをねだったのを無視した後だった。まさかとは思ったが、少し心配になって、寝込んでいる次男をたたき起こして、「昨夜帰るときに何かなかったか?」と訊ねた。次男は寝ぼけた声で、「うちの近くまで来たら、おまわりさんに呼び止められて、どこに行くんだって聞かれたから、ここに住んでるんでうちに帰るっていったら、すぐに行かせてくれたよ」とのことで、これなら大丈夫だと安心した。せがれにあまり小遣いをケチるのも考え物であると思った。





赤い実




そして赤い薔薇




赤い菊の蕾




これは黄菊



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2011年10月31日月曜日

Susumu の日記 2011年 -281-

10月31日 月曜日

六辻三学院コース。今朝はそれほど寒くなかった。

昨日、石山さんのお宅で、新しく購入したノート型パソコンの無線LANの設定をお手伝いした。すでにある発信機のBaffalo Air Station がセクリティー・キーの入力を要求してくるのだが、それが不明。そこで、元から繋がっているデスクトップから発信機に入って、セキュリティー・キーを読み取り、設定が出来た。役目を終えて一安心。

今朝は石山さんからいただいた、Yellow Honeyというコーヒーを淹れて飲む。美味。



5時43分の東の空




ミズヒキグサの後ろでツワブキが咲いていた 北町新通りに面した芝富士で
小学生の頃の記憶、国語の教科書に「ミズヒキグサ」というのが出ていたと記憶する。



赤い薔薇に一滴の水滴、朝早く降ったようだ





サクラの紅葉





三学院の地蔵堂の前には椅子があるので、散歩の老人のたまり場になっている 皆さん、ときどき笑い声を上げて楽しそうである。





三学院の門の仁王の顔





誰かの菩提を弔った石仏、石には貞享元年と書いてある。






この庚申塔は元禄1年





蕨公園あとは見事に更地になってしまっていた
あの緑はどうなったのだろう



帰り着いたときの北の方向





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