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2011年4月30日土曜日

進の日記、2011年 -119-

4月30日 土曜日 晴れ

今日は寝坊して走らなかった。代わりに夕方、散歩がてら本などを買いに行った。

ここの町は、南北に走る電車の線の東西に広がっている。駅の西は寂れかけた古い商店街が線路に直角に西に伸び、東は新しい商店街がこれも線路に直角に東に延びている。この東口の道路に並行して、そのすぐ北側を東に伸びる道がある。商店と住居が入り交じった感じの道である。
この道を東に30分ほど歩いたところに新しいショッピングモールがある。夕食後そこを目指して歩いた。

昼間は目につかないが、夜になると急に目につくのが、一杯飲み屋である。目に付くといっても、コンビニなどと違って、その存在を強く主張はしていない。酒好きなら直ぐに目に付くという程度かと思う。どこか遠慮しているのである。

でも、その何軒かは下戸の僕でもちょっと気を惹かれる雰囲気がある。今日はこういった夜の店の写真を撮ってみた。














特に説明は加えなかったが、花屋が一軒、洋風のバーが一軒、レストランが1軒入っている。最後の5枚は、帰りに通った賑やかな大きい通りに面してあった店である。

2011年4月29日金曜日

進の日記、2011年 -118-

4月29日 金曜日 晴れ

気温が低めで、かつ乾燥していて、心地良い。走るのに絶好。

5時10分、東の空は雲が多かった



線路沿いの道、まだ通勤者は見えない




六辻水辺公園の用水



キュウイの蕾はまだ小さい




孤立したナガミヒナゲシ、ひとつだけというのは少ない




水辺公園のハナミズキ




朝の散歩、歩き方から見て美容のため



朝の姉弟、どうしたのかな?



つつじの赤にも色いろある、辻で




ハマナス、栽培品種だろう、北町で











2011年4月28日木曜日

進の日記、2011年 -117-

4月28日 木曜日 曇り

東の空は完全に曇っている。 小谷場標準コース。 今年はじめて、半ズボン、半袖Tシャツで走る。全く寒くない。かっては真冬もこの姿で走っtこともあっったのを思うと、気力が衰えたものだと思う。

昨夜の雨の跡のある中庭のチューリップ



西北の空は晴れてきていた




樋ノ爪遊歩道のハナミズキ



ナズナとナガミヒナゲシ



もう一つナズナ、花は?



樋ノ爪遊歩道




さくらんぼ




ネギの花とハエの類



牡丹の花、芝塚原で



線路沿いの道で






福島県の学校で、校庭の土の放射線量が高いことから、表土を3cmくらい剥がしていた。
剥がす前は毎時約4μSvあったという。 年間にすると30数mSvになり、気になる量である。
剥がしたところ6分の一くらいに下がったと言うが、剥がした土の処理が気になるし、剥がした後にさらに汚染が加わるかどうかも気になる。

放射線被曝は200mSv/年以上だと、発ガン率が高くなることが認められ、この値以下だと心身的症状は認められないといろいろのものに書いてある。この200mSvという値については、ものによっては理由を示さずに100mSv以上は危険だと書いてある。どこかあこの数値が来ているのだろうか。

ICRPの2007年勧告によると、公衆の被爆限度は年間1mSv、職業被爆限度は決められた5年間の平均値として年間20mSvとなっている。
また、非常状況での避難参考レベルが急性または年線量として1-20mSv、放射線事故など非常時に設定するレベルが急性または年間線量として、20-200mSvとなっている。

さらに、がんに対するリスクが1Svあたり 5.5 %、遺伝子的影響に対するリスクが同じく 0.2% となり、これを成人に限ると、前者が 4.1% 後者が 0/1% となっている。

2011年4月27日水曜日

進の日記、2011年 -116-

4月27日 水曜日 晴れ

西川口コース。気温が高くなってきたためか、体がやや重い。走り続けていると、空腹を感じないが、立ち止まり写真を撮っていて走るのを再開すると空腹を感じる。

5時13分 霞んでいる



中庭の花壇



沖電気の柵



中の花壇




JR保線区の向かいの薔薇




線路沿いのマンションのツツジ



西仲公園の八重桜




そして藤棚



南町の空き地



緑川で



緑川を泳ぐ



三和稲荷で




2011年4月26日火曜日

進の日記、2011年 -115-


4月26日 火曜日 晴れ。 長徳寺コース。ややひんやりとして、走るのには向いていた。


5時29分




中庭のチューリップにかすかに朝露が




樋ノ爪で




遊歩道の花水木(紅)




遊歩道の花水木(白)




長徳寺のお堂




タンポポ




線路沿いの道



今日のスライドショーはここをクリック



東北地方の大震災は、精神的なケアーなどが問題とされるようになってきた。東北新幹線も今月中には全線開通という。新聞やテレビは菅総理や内閣に対して、対策が適切ではないと批判的な論調。もともと、原発を推進した自民党は、テレビや新聞上ではなりをひそめている。

評判がいいのが災害ボランティア。 昨日聞いた話だと、Life Studioという写真館は社長が先頭にたって、福島県に行って、津波で水浸しになった災害地からアルバムを拾い出し、写真を水洗いして乾燥し、避難所に並べて、持ち主に渡すという作業をしているとのこと。しかも社員の全員が給料のかなりの部分を災害地救援に寄付しているという。比較的若い社長さんは韓国の人で、親御さんが日本は危険だから帰って来いと言うしょっちゅうかけてくる電話から逃げ回っているらしい。

テレビでも辻口博啓という有名なパティシエが被災地にケーキを持ってなんども訪れたと話していた。20台から40台に、こうゆう人たちが大勢いることを知ると、日本の将来に明るさを感じる。

先日、うっかりして、日記に茨城県を栃木県と書いてしまった。どうも頭の中で両県がなんとなく混同している趣がある。両県の方々には申し訳ないが。

テレビで日光の観光客が激減して10%近くまでになっているという。これも僕のように、無意識に茨城県と栃木県を混同している人がいるからではなかろうかと考えた。そこで、今日の新聞にでていた昨日の各地の大気中放射線量の測定値を見てみた。すると、茨城県はつくばの 160 nSv を最低に、日立や北茨城は 229 nSV もあるのに対して、栃木県は宇都宮や真岡が 60 nSv 台、小山が 80 nSv と低いので、果たしてと思った。ところがである。栃木県でも那須は 190 nSV、日光は 210 nSv もあるのである。すると、やっぱり観光客はそこまでみているのかなとも思った。はたしてどちらであろうか。

もっとも日立や北茨城のレベルでも、年間の累積は 2 mSv くらいなので、問題はないと思われるのだが。ちなみに、癌の確率の上昇が認められるようになるのは年間で 200 mSVからだという。

さらにゆうと、今言われている放射線の健康被害の根拠は、広島や長崎の惨劇から得られたものなのだそうである。心にい痛みを感じる。我々はあの惨劇を本当に教訓と成し得ているのだろうか?