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2011年12月24日土曜日

Susumu の日記 2011年 -334-

12月24日 土曜日 晴れ

今朝も寒い。今日は鬼沢橋・蕨神社コース。意外に時間がかかってしまい、急いで仕上げなくてはならないはめになった。


5時55分、とにかく寒い朝である





中央公園もまだ闇




やっと明るくなり始めた南町桜並木の梢




小さな秋とでもいおうか




この冬は薔薇が美しい




中庭の水仙はあと少しという感じ



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2011年12月23日金曜日

Susumu の日記 2011年 -333-

12月23日 金曜日 快晴

今日は六辻・三学院コース。行きは向かい風で寒い。帰路は無風に感じるが道路わきの広告の旗は進行方向にたなびいて盛んに揺れている。ということは風速が毎秒2mくらい。


地平線が微かに赤みを帯びてきた東の空のかなり低いところに細い月が出ていた



真っ赤なドウダンツツジの生垣の隙間からネキジャラシがのぞいていた





大谷石の倉庫




豪華な三学院の塔と鐘楼




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2011年12月22日木曜日

Susumuの日記 2011年 -332-

12月22日 木曜日 冬至

昨日、クシャミが出たりして風邪の可能性が気になり、今日は用心して走らなかった。かわりに午前中に鬼沢橋付近まで速足で往復した。昨日のクシャミは何かに対する単純なアレルギー反応だったようだ。



要害通りで菊の大輪がまだ咲いていた
子供の頃に玉川遊園地で菊人形というのがあって観にいった記憶がある。
「楠正成、正行の桜井の別れ」の場面などがあったと記憶する




浄水場通りの水仙




そして蝋梅、もう咲き始めていた





ライオンズマンションのマンサクには小さな蕾がいっぱいついていた。まだ黄色い葉も残っているのに




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2011年12月21日水曜日

Susumuの日記 2011年 -331-

12月21日 水曜日 曇り

長徳寺コースを走る。
寒い。小学生の頃には手足の指にしもやけが出来たことがあった。僕はそれほどでもなかったが、かなり酷い霜焼けで、あかぎれになって皮膚が割れている子も同級生にはよく見かけた。

今は霜焼けなど知らない人が多いのではなかろうか。防寒具や暖房の発達が原因とも思われるが、それ以上に栄養状況がよくなったこと、ことにビタミンAの摂取量が十分になったことが大きな原因だろう。
かっては洟汁をたらした子が多かったが今はまったくといっていいほど見かけない。これも栄養状況の改善によると聞いている。ほっぺたの赤い子もこの頃は見かけない。これも同じような原因なのだろうか。

僕は男ばかりの5人兄弟の真ん中であるが、面白いことに5人の中で一番、背が低い。165cmでその年代では平均身長だったのだが。大学での同級生たちも1、2cm程度の差で似たようなものだった。ところが、僕らの学年付近を中心に先輩たちも後輩たちも総じて背が高いのである。集合写真を見るとよくそれが分かる。戦中戦後の食料時事情の一番悪いときに育ち盛りだったのが原因だったに違いない。



5時54分、真っ暗なので曇っているのだろうと思った




長徳寺、庫裡の玄関の灯りが美しい




曇っていると思っていたら、朧月がでていた。それもおぼろ三日月



小谷場の坂の下の豆腐屋がこのところずっと閉まっているともっていたら、こんな紙が張ってあった。寂しい。





寒くても薔薇は美しい花を咲き続けている





枯れ木を彩る




中庭の水仙の蕾はまだしっかりと閉じている




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2011年12月20日火曜日

Susumuの日記 2011年 -330-

12月20日 火曜日 快晴

寒い、南町桜並木の終わりまで行ってそのまま戻る。帰路は向かい風でひときわ寒かった。



6時7分、6時頃に東の空が明るくなるのだろう
雲ひとつない、そして寒い




西洋城郭風幼稚園にかかる月




浄水場通りの外れにある家では水仙がもう咲いていた





残り柿の上の月





冬の桜





奇麗としか言いようがない




南町桜並木は掃除が行き届いている




せせらぎ公園の前の家のシバザクラがもう咲いていた




三つの花




筑波山がよく見える朝だった




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2011年12月19日月曜日

Susumuの日記 2011年 -329-

12月19日 月曜日 晴れ

かなり寒い。六辻水辺公園標準コース。ほとんど、暗い中だけを走っていた感じ。

先日、1万3000円も出して購入したナイキのクレッセントとかいう靴はどういうわけか右足の甲のところが痛くなって履くのを躊躇していた。今朝は、右足の紐を思い切り緩めて履いてみたが、まだ少し痛い。我慢して走り出してみたら幸い段々と痛みを感じなくなった。途中で写真を撮っていたらまた痛み出したが、我慢していたらやがて痛いかどうか忘れてしまった。

足の甲に当たるところには柔らかい布のクッションがあって痛くないようになっているのに痛いのである。痛みというのは不思議なもので、半分は心理的なものなのだろう。そうだとしても、何故右足の甲だけ痛くて、左足の甲は痛くないのかが分からない。左足はしっかり紐を結んであって右足より甲が強く押さえつけられてるのである。


中庭の山茶花は一輪だけ咲き残っている




文蔵まで来てやっと東の空が明るくなった




半月、文蔵で




六辻水辺公園の遊歩道、今朝は寒いからか誰も通っていない




遊歩道の水仙、しっかりと花を開いている




辻小橋の辺りでオナガの群れが大声で騒いでいた。暗い中で、何とか撮れた写真。カラスもそうだが、カラスと仲の悪いオナガもカメラを向けるとかなり遠くでも逃げるのが普通だ。それが、今朝は暗かったためか逃げなかった。





北町の路地の残菊




 中庭の水仙はまだしっかりと蕾を閉じている




中庭の花壇のハナキャベツ




帰り着いた頃にやっと北の空も明るくなっていた




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2011年12月18日日曜日

Susumuの日記 2011年 -328-

12月18日 日曜日 晴れ

昨夜は遅く帰ったので今朝は寝坊した。3時半過ぎから散歩に出た。帰ってきた5時頃には暗くなってきていた。

僕は子供の頃、とても臆病で暗闇が怖かった。何歳の頃だったろうか、夜寝るときにガラス障子越に暗い庭が見えるほうを向いて寝ると怖いので、反対を向いて寝た記憶がある。その頃のわが家には中ほどに透明なガラスが入った部分のある障子があったのである。

今住んでいるマンションには和室が2間あることはあるのだが、障子はないし、床の間もない。襖(ふすま、子供の頃には"カラカミ"と行っていたと記憶する)らしきものはあるが、合板の板に壁紙を張ったような奇怪なものである。

ところで、暗闇には今でも恐怖が残っている。朝まだ暗いうちにジョッギングに出るとき、JRの上を渡る小さな跨線橋がある。渡りきって向こうについた頃に何となく怖いことがあるのである。後ろを振り返ってみても別に何かいるわけでもない。でも周囲に何かの気配がするのである。怖い。理性で怖くないと言い聞かせて、通り過ぎる。

跨線橋の上から飛び降り自殺があったらしくて、橋上に花束が置いてあったことが2回かそこらあった。それが頭に残っていて、嫌な気がするのかもしれない。幸い、ときたまであって、毎回ではないのだが。気にならないときはそこで遠くの空や電車のなどの写真を撮ったりもするのである。ほかの場所では暗くても怖くはない。子供の頃は怖くてたまらなかったお寺でもお墓でも、今は怖くないから跨線橋が怖いのは不思議である。



隣の団地の中にある小さな小さな帯状の林、かってあった雑木林の残存らしくクヌギの木が十数本ほどある。



その中を通り抜ける親子




これもその一部




林の中で見つけた黄葉




赤い薔薇、文蔵で




外郭環状下の山茶花、落弁が地面を飾っていた




辻で見つけた黄色い薔薇




影富士、六辻交差点付近で




帰りついたときは暗くなっていた




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