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2011年11月19日土曜日

Susumuの日記 2011年 -300-


11月19日 土曜日 雨

 日記はこのブログに変わってから今日で300回目。雨で走れなかったので、好きな横浜の写真。
横浜はいかにも港町らしく明るい。同じ港町のサンフランシスコやシドニーなどと共通した明るさがある。鎌倉は雨の日もいいが、横浜は晴れた日がいい。
今回は先日、横浜駅からみなと未来地区を抜けて山下公園まで歩いたときに、見かけた色々な人たちの写真。



足取り軽く


セールスマン?は孤独



歩くのが嬉しくて嬉しくて



厳しい?訓練




真っ赤なポルシェ ッて歌知ってるのかな




若いっていいですね




独り




帰路



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2011年11月18日金曜日

Susumuの日記 2011年 -299-

11月18日 金曜日 曇り

曇っているが寒い。年をとると温度に対する感覚も鈍くなると聞くが、寒さはむしろ厳しく感じるような気がする。



6時丁度の東の空




中庭の山茶花はまだ盛んに花を開いている




ポンポンダリアというのがあるが、これはポンポン菊とでもいうのだろうか? 可愛い菊である。




塚原の松本邸のコウテイダリア(別名キダチダリア)は、屋敷と同じで豪華である。 

中庭の花壇にこれによく似た背の高い茎が伸びている。園芸班の人たちによるとそれはコウテイヒマワリとのこと。秋に花が咲くと言うのに、全く咲く気配がないそうだ。背丈や姿は似ているが、葉の形はコウテイダリアとはっきり違っている。共に今頃花が咲くというのは、蕾の形成が日が短くなることによって促されるのではないかと思う。中庭には終夜、街灯がともされているので花が咲かないのだろう。




松本邸の巨大ミカン? 実の大きさはザボン(ブンタン)くらいある。しかし、ザボンは皮が滑らかである。南瓜柑とでも名づけたくなった。




しゃれた街灯、火屋の中に小さい木の枝が入り込んでいる




小谷場商店街のコウテイダリア




奇麗な薔薇、撮らずにいられなくなった




線路沿いの道、桜がすっかり紅葉してきた




中庭の花壇の紅薔薇、スペイン風の渡り廊下を背景にしたところ、なんと監視カメラが入ってしまった。位置からいってどうしてもはいってしまう。世の中には悪い人がいるので、こんなものが必要になる。困ったものである。



悪いことをする人といえば、昨日、知り合いのオーストラリア人から G-Mail アドレスで電子メールが来た。スペインにセミナーとあるプロジェクトのために来てるのだが、ホテルで泥棒にあって所持金を全部奪われて困っている。それで何とか助けてもらいたいというのである。ご丁寧にもこれは詐欺メールではないとまで書いてある。

しかし、どう見ても詐欺メールである。彼女は2、3年前に定年退職をしていて、科学者としての活動はほとんどしてないはずである。それにメールで助けを求めるのなら、ご主人や成人した2人の子供さんがいるはずである。さらに、彼女なら最初に、 Hello Susumu とか Dear Susumu とか小生の名前が書いてあるはずである。かって、詐欺メールがインドの友人の名前で来たことがあった。内容がそれにそっくりである。

というようなことで、詐欺メールと判断された。 さっそく、共通の友人にもメールで注意を促した。本人とはメールアカウントが盗まれていると思われるので、まだ連絡が取れてない。

世の中は便利になると必ずそれを悪用する人が出てくる。利便性と危険性は平行して増大する。悪事を働く性質は、人類進化の過程でどのようにして発生・存続してきたたのであろうか。


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2011年11月17日木曜日

Susumuの日記 2011年 -298-

11月17日 木曜日 快晴


昨日は老人会のパソコン教室。テーマはCraving Explorerという動画を取り込むソフトのダウンロード、インストール、使用法。YouTubeにアップしてある僕の動画作品を練習用にダウンロードするためYouTubeに入ろうとしたのだが、それに使う、Googleのアカウント名とパスワードを忘れた人がいたり、Adobe Flash Playerが入ってなくて、動画が見られない人がいたりして、大変だった。
皆さんが共通してご存じなかったのは、ブラウザー (Google Chrome) でダウンロードした Craving Explorer の設定ファイルがどこのどのフォールダに入っているかということだった。前に一度話してあったと思うのだが、徹底できてなかったようだ。反省。最後には皆さん何とか使えるようになった。

今朝はよく晴れている。鬼沢橋・せせらぎ公園コース、行きは追い風だったので風を感じずに寒くなかったが、帰りは向かい風で、強くはなかったがやや寒かった。


5時37分、雲がほとんどないいい天気




蕨駅前広場、この大きな樹は欅なのだが、一時期雀のお宿になっていて賑やかだったことがあった。最近は来なくなったが何故だろうか。追い払ったのか自然にこなくなったのか。




路地というのは何故か魅力的である





払暁の小料理屋、看板の和風の模様が面白い




栽培種の彼岸花のようだが? 南町で




傷のない薔薇を見ると撮らずにいられなくなる




うまい具合に背景が黒く落ちる位置に咲いていた





この辺りにも「粽(ちまき)」が玄関に下げてある家が稀にある、これもその1軒。



かって、都内の住宅街で初めて粽が下げてある家を見つけたときのことである。写真に撮っていると、通りかかったオバサンから何撮ってるのと声をかけられた。あれですと、指さすと「あー、蘇民ね」とおっしゃる。「えー、蘇民ってなんですか?」と僕。「あんた、蘇民も知らないの」とオバサン。
そこで近くにいる娘にお豆腐を届けに行く途中だったという、そのオバサンから講義を受けた。

昔の話である。スサノオノミコトがどこかの帰りに歩いていたら、夜になってしまったので、行きあわせた裕福な蘇民巨丹の家に一夜の宿を頼んだが、にべも泣く断られた。 しかたなく次の家、巨丹の弟、将来の家にいったところ、ここでは快くスサノオノミコトを泊めて、粟の飯まで供した。ミコトはその後、ヤマタノオロチを退治しに行き、帰りにまた蘇民の家によって、茅で輪を作りそれ腰にかけておくと病に罹らないと教えたという。
のちに疫病が蘇民たちの村を襲い、巨丹をはじめとする村民のほとんどが死に絶えたが、将来の一族だけは茅の輪のお陰で助かったという。 この蘇民将来の説話は日本書紀など色々な古書に出ているようである。調べてみた本に出ていた日本書紀の記述によると「ミコト夜這われて・・・」と書いてあり、どうも夜這いの帰りだったようだ。どうりで夜おそくなったわけだと納得。

この門口にかけてある粽は都内では根津神社のものが多い。ときに京都の祇園祭のものもあって、長刀矛と書いてるものをよくみかける。京都に行くと、多くの家々の門口にこの粽がかけてあってそこには、長刀鉾、函国鉾、月鉾、菊水鉾、南観音山など、祇園祭の山鉾の名が書いてあり、さらに「蘇民将来子孫の家也」と書いた札がつけてある。山鉾が置いてある所(事務所?)で購入するらしい。

この粽のように門口につけておいて、悪霊や病魔を追い払うおまじない(門守り)には、粽のほかには柊鰯が多い。稀には紫陽花の花もある。京都には粽が多く、柊鰯はごく少ない。逆にすぐ近くの奈良には柊鰯が多く、粽は少ない。東京近辺では両者共に少ないが、相対的には柊鰯が多く、粽は稀である。



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2011年11月16日水曜日

Susumuの日記 2011年 -297-

11月16日 水曜日 快晴

朝から見事に晴れ上がって、北風がやや強い。お陰で寒かった。六辻第一コース。


ジョッギングを初めて24年と数ヶ月になる。それでも朝起きて走りに出るのが楽ではない。今朝も寒いのと、やや寝不足なのとであろうか、颯爽と起きてというわけには行かなかった。今朝はそれほどでもなかったが、もっと木の進まない朝もある。
そういうときには、手がある。まずは我慢して起きて顔だけでも洗って、まだ嫌だったら寝てもいいかと思うのである。そうしてとにかく顔を洗う。すると少し元気になるので、今日は準備運動だけでもやって、また寝ても、何もしないよりはいいかと思う。
準備運動さえ終われば、体も温まってくるので、もう大丈夫、さっそうと走りに出られる。少し寒くても、走っているうちに寒さをあまり感じなくなることが分かっているのである。
ところが、走るときの体の調子というのも、予測不能なのである。せっか元気に走り出しても、だんだんと調子が悪くなってきて、いつの間にかデレデレとゆっくりにしか走れない日もある。そうかと思うと、起きたとき体がだるくて今日は休もうかと思うくらい辛い日があって、何とか気持ちを騙し騙し走り出すのである。するといつの間にか快調になっていて、元気一杯に走り終える日もあるのである。

マラソン選手の調子もおそらくこういうのなのだろうと思う。体というのは不思議なものである。

ということだが、今朝は起きるときはいくらか辛かったが、寒くても元気に走ることが出来てよかった。6時4分の東の空、見事に晴れ蛾って北風が吹いていた



筑波山がよく見えた



中庭のタイルの上にも秋




団地の銀杏、樹によって黄葉のていどがかなり違う




梢に月がかかって



見事に咲いた山茶花、芝富士で



ひっそり咲く薔薇も



豪華な紅薔薇、文蔵で




六辻水辺公園遊歩道、文蔵薬師裏のコウテイダリア




あっという間にこの高さになっていた



帰路、陸橋の上まで行って撮った



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2011年11月15日火曜日

Susumuの日記 2011年 -296-

11月15日 火曜日 曇り

小谷場第一コース。走り出したときは暗かったが、やがて明るくなり、雲間から時々月が覗いていたので、何枚か月の写真を撮った。薔薇もこの秋は何故か花が奇麗なのである。例年だと初夏の薔薇は美しくても秋から初冬の薔薇は傷が目立って写真にならない。今年はどういうわけなのだろか。


樋ノ爪遊歩道の欅、暗闇でよく見えないがこの欅は梢に烏が巣を作ったほど伸び伸びと茂った見事な樹だった。それが数年前に大きな枝が切られてしまい、惨めないじけた姿になった。そばの空き地にできた駐車場の車に、落ち葉や枝が落ちるのを嫌って、切ったのではないかと思う。

僕の住んでいるマンションの中庭の欅も茂ってくると枝を落とされてしまう。落ち葉が酷くて掃除が大変なのが理由ときいている。
昨日も南町の桜並木を走ったが、ここの桜も道の一方だけ枝が切り払われている。電柱が立っていて、電線の邪魔になるからのようだ。
桜並木沿いの家の人たちは、この季節は毎朝、落ち葉を掃除している。ご苦労様だなと思うが、だからといって、桜を切れとは誰もいっていないようである。春の花、夏の緑影とが貴重だからだろうかと思う。

僕が子供の頃住んでいた中延の家では、晩秋になると父が梯子に登って雨樋に詰まっている桜の落ち葉を除いていたことを覚えている。この落ち葉は隣の家の桜の大木に由来していた。夏は毛虫だらけになることがあって、それを灯油を燃やした炎で退治したこともあった。わが家ではそれでも隣家に苦情をいったことはなかったように思う。また隣の家では七面鳥を飼っていたことがあった。昔のことだから庭で放し飼いにしていたようだった。裏の祖父母の家に行くときにはその隣家の生垣のところを通っていくのだったが、生垣の隙間から出てくる七面鳥が追いかけてくるのが怖くて困った。それでもわが家は隣人に苦情をいいに行くというようなことはなかった。

高田馬場から早稲田に通勤していた頃にも、早稲田通りの並木のプラタナスの枝下ろしが行われていた。それがどういうわけか、夏の初めによく行われていた。真夏の暑い日ざしが辛い頃には並木は裸で、日陰がなくなるのが常だった。

なんで木の枝を切るのが、こんあに好きなのだろうかと、不思議に思う。



暗闇の紅薔薇



遊水地のススキ、僕の住んでいた中延から少しいくと馬込と言うところがあった。中延は住宅地として開発されていたが、馬込には自然が残っていた。貨物線があって、通って行く貨車の数を数えた記憶がある。十五夜の頃に、馬込までススキを取りにいった。帰路に僕たちが通っていた源氏前小学校とはちがった小学校の地域を通るのだが、そこの子供たちに追いかけられて、せっかく取ったススキを捨て打て必死で逃げ帰ったことがあった。

この貨物線には今は東海道新幹線が通っている。




薄あかりの中でも美しい




薔薇の下



隙間から見る月は大きい




秋の線路沿いの道




中庭の白い薔薇、褐色の斑点が一つだけあるのが残念




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2011年11月14日月曜日

Susumu の日記 2011年 -295-

11月14日 月曜日 曇り

鬼沢橋・蕨神社コース。気温がやや高い。今日は薔薇が主体。



薔薇に言葉は不要かと











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