11月17日 木曜日 快晴
昨日は老人会のパソコン教室。テーマはCraving Explorerという動画を取り込むソフトのダウンロード、インストール、使用法。YouTubeにアップしてある僕の動画作品を練習用にダウンロードするためYouTubeに入ろうとしたのだが、それに使う、Googleのアカウント名とパスワードを忘れた人がいたり、Adobe Flash Playerが入ってなくて、動画が見られない人がいたりして、大変だった。
皆さんが共通してご存じなかったのは、ブラウザー (Google Chrome) でダウンロードした Craving Explorer の設定ファイルがどこのどのフォールダに入っているかということだった。前に一度話してあったと思うのだが、徹底できてなかったようだ。反省。最後には皆さん何とか使えるようになった。
今朝はよく晴れている。鬼沢橋・せせらぎ公園コース、行きは追い風だったので風を感じずに寒くなかったが、帰りは向かい風で、強くはなかったがやや寒かった。
5時37分、雲がほとんどないいい天気
蕨駅前広場、この大きな樹は欅なのだが、一時期雀のお宿になっていて賑やかだったことがあった。最近は来なくなったが何故だろうか。追い払ったのか自然にこなくなったのか。
路地というのは何故か魅力的である
払暁の小料理屋、看板の和風の模様が面白い
栽培種の彼岸花のようだが? 南町で
傷のない薔薇を見ると撮らずにいられなくなる
うまい具合に背景が黒く落ちる位置に咲いていた
この辺りにも「粽(ちまき)」が玄関に下げてある家が稀にある、これもその1軒。
かって、都内の住宅街で初めて粽が下げてある家を見つけたときのことである。写真に撮っていると、通りかかったオバサンから何撮ってるのと声をかけられた。あれですと、指さすと「あー、蘇民ね」とおっしゃる。「えー、蘇民ってなんですか?」と僕。「あんた、蘇民も知らないの」とオバサン。
そこで近くにいる娘にお豆腐を届けに行く途中だったという、そのオバサンから講義を受けた。
昔の話である。スサノオノミコトがどこかの帰りに歩いていたら、夜になってしまったので、行きあわせた裕福な蘇民巨丹の家に一夜の宿を頼んだが、にべも泣く断られた。 しかたなく次の家、巨丹の弟、将来の家にいったところ、ここでは快くスサノオノミコトを泊めて、粟の飯まで供した。ミコトはその後、ヤマタノオロチを退治しに行き、帰りにまた蘇民の家によって、茅で輪を作りそれ腰にかけておくと病に罹らないと教えたという。
のちに疫病が蘇民たちの村を襲い、巨丹をはじめとする村民のほとんどが死に絶えたが、将来の一族だけは茅の輪のお陰で助かったという。 この蘇民将来の説話は日本書紀など色々な古書に出ているようである。調べてみた本に出ていた日本書紀の記述によると「ミコト夜這われて・・・」と書いてあり、どうも夜這いの帰りだったようだ。どうりで夜おそくなったわけだと納得。
この門口にかけてある粽は都内では根津神社のものが多い。ときに京都の祇園祭のものもあって、長刀矛と書いてるものをよくみかける。京都に行くと、多くの家々の門口にこの粽がかけてあってそこには、長刀鉾、函国鉾、月鉾、菊水鉾、南観音山など、祇園祭の山鉾の名が書いてあり、さらに「蘇民将来子孫の家也」と書いた札がつけてある。山鉾が置いてある所(事務所?)で購入するらしい。
この粽のように門口につけておいて、悪霊や病魔を追い払うおまじない(門守り)には、粽のほかには
柊鰯が多い。稀には紫陽花の花もある。京都には粽が多く、柊鰯はごく少ない。逆にすぐ近くの奈良には柊鰯が多く、粽は少ない。東京近辺では両者共に少ないが、相対的には柊鰯が多く、粽は稀である。