小谷場第一コース。走り出したときは暗かったが、やがて明るくなり、雲間から時々月が覗いていたので、何枚か月の写真を撮った。薔薇もこの秋は何故か花が奇麗なのである。例年だと初夏の薔薇は美しくても秋から初冬の薔薇は傷が目立って写真にならない。今年はどういうわけなのだろか。
樋ノ爪遊歩道の欅、暗闇でよく見えないがこの欅は梢に烏が巣を作ったほど伸び伸びと茂った見事な樹だった。それが数年前に大きな枝が切られてしまい、惨めないじけた姿になった。そばの空き地にできた駐車場の車に、落ち葉や枝が落ちるのを嫌って、切ったのではないかと思う。
僕の住んでいるマンションの中庭の欅も茂ってくると枝を落とされてしまう。落ち葉が酷くて掃除が大変なのが理由ときいている。
昨日も南町の桜並木を走ったが、ここの桜も道の一方だけ枝が切り払われている。電柱が立っていて、電線の邪魔になるからのようだ。
桜並木沿いの家の人たちは、この季節は毎朝、落ち葉を掃除している。ご苦労様だなと思うが、だからといって、桜を切れとは誰もいっていないようである。春の花、夏の緑影とが貴重だからだろうかと思う。
僕が子供の頃住んでいた中延の家では、晩秋になると父が梯子に登って雨樋に詰まっている桜の落ち葉を除いていたことを覚えている。この落ち葉は隣の家の桜の大木に由来していた。夏は毛虫だらけになることがあって、それを灯油を燃やした炎で退治したこともあった。わが家ではそれでも隣家に苦情をいったことはなかったように思う。また隣の家では七面鳥を飼っていたことがあった。昔のことだから庭で放し飼いにしていたようだった。裏の祖父母の家に行くときにはその隣家の生垣のところを通っていくのだったが、生垣の隙間から出てくる七面鳥が追いかけてくるのが怖くて困った。それでもわが家は隣人に苦情をいいに行くというようなことはなかった。
高田馬場から早稲田に通勤していた頃にも、早稲田通りの並木のプラタナスの枝下ろしが行われていた。それがどういうわけか、夏の初めによく行われていた。真夏の暑い日ざしが辛い頃には並木は裸で、日陰がなくなるのが常だった。
なんで木の枝を切るのが、こんあに好きなのだろうかと、不思議に思う。
暗闇の紅薔薇
遊水地のススキ、僕の住んでいた中延から少しいくと馬込と言うところがあった。中延は住宅地として開発されていたが、馬込には自然が残っていた。貨物線があって、通って行く貨車の数を数えた記憶がある。十五夜の頃に、馬込までススキを取りにいった。帰路に僕たちが通っていた源氏前小学校とはちがった小学校の地域を通るのだが、そこの子供たちに追いかけられて、せっかく取ったススキを捨て打て必死で逃げ帰ったことがあった。
この貨物線には今は東海道新幹線が通っている。
薄あかりの中でも美しい
薔薇の下
隙間から見る月は大きい
秋の線路沿いの道
中庭の白い薔薇、褐色の斑点が一つだけあるのが残念
今日の写真のスライドショーはここをクリックすると見られます
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