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2010年5月25日火曜日

病床五尺 その11


5月25日 火曜日 晴れらしい

 朝のバロックは、バロックの森と名が変わっていた。変えた理由が分からない。今週前半は「精霊降臨祭」にちなんだ曲とのこと。

「ロザリオのソナタ集から ソナタ 第13番聖霊の降臨」 ビーバー作曲
「コラール前奏曲来たれ聖霊、主なる神よ」 トゥンダー作曲
「カンタータ霊に満たされて歌え」   シュテルツェル作曲
「カンタータ 第172番歌よ、響けBWV172」 バッハ作曲
 4曲中バッハがやっぱり一番聴きごたえがあったが、トゥンダーのオルガン曲も悪くなかった。もっともこれは僕がオルガンが好きなことによるのかも。

 山本からメールの返事が来る。病床五尺にたいする感想に「それから、君の文章は実に素晴らしいですね。おそらく思いつくままに書いているのでしょうが、きつい目を見ているなーと感じながら読んでいても途中であるいは最後にほっとする文が出てきます。例えば、救急車の件で最後の <車にお金をかけてないのだろう 。> 本人は苦しんでいるにもかかわらず僕には何かしら一寸した安心感で読み終わります。」とあった。思いがけない感想だったので、理由を考えてみた。
 僕は何かあると反射的にその理由を考える習癖がある。そして、質問を発する。理由が分かると満足、すなわち心が満たされて、多くの場合、気持が穏やかになるのだと思った。それが文章に出るのだろう。と書いて、このことも同じだと気が付く。もっとも、理由が分かって、怒り心頭に発するなんてこともまれになくはない。最近は歳をとったので怒ることはほとんどなくなったが。たちの悪い人、意地の悪い人がいても、その人がなぜそうなったのかを解析すると、許せる気持ちになってくる。
 もっとも許してばかりいると、世の中に悪がはびこるという意見もあるだろう。許したら、そういう悪い人が生じないようにするには、どうすればよいか次の方策を考えるべきだろう。
 と、ここまで考えたら、バロックの森も終わり、朝刊が配達された。さて、新聞でも読みますか。

 
 昨日はYOさんと言う人がTさんの後に入ってきたが、今日はYさんがほかの病室に移って、入れ代わりにSさんと言う人が入ってきた。二人とも60代くらいで勤め人風。言葉も標準語である。Sさんは今までいた部屋がうるさいくて眠れないということで移ってきたらしい。彼は自分で車を運転して来たらしく、事故でも起こしたら危険ですから救急車を呼ぶべきだったとY看護婦さんからたしなめられていた。

 今朝の血圧は133に65、体温36.5、酸素96。

 今日は眩暈がいつもよりひどい気がしたので、原因を考えたところ、薬の副作用ではないかと思って看護婦のYさんに相談してみた。 彼女の手配で、薬剤師の人が来て、薬は鎮痛薬ロキソニン、筋弛緩薬ミオナール、胃薬ムコスタ錠で、副作用の眩暈は動揺性のめまいのよううだという。大井先生とも相談したうえ、場合によっては鎮痛剤を変えてもいいということになった。

 手術を終えた大井先生が来て、頭を回転させて眩暈を起こさせたときの僕の眼球を観察した。その結論。
 僕のめまいは動揺性でなく、回転性の一時的なもので、前庭器官の小石の一つが三半規管に入り込んで、それが頭を曲げると動き、それにつれて三半規管のリンパが流れるので、眩暈になると説明してくれた。そのうち、小石がどこかに引っかかって3週間から1月半くらいでたいてい治るから心配なしということ。
 検索してみたら良性発作性頭位眩暈症(BPPV)という名で、発症原因は不明と書いてあった。


  午後、河野が来てくれた。法隆寺瓦撮影計画を話したら、大賛成をしてくれた。気合が入った。法隆寺には波兎、滑稽な肛門のある獅子、法螺貝、流れに紅葉、龍、など素敵な止め蓋があるので、全治したら、1週間、泊まりがけで法隆寺に撮影に行く計画である。そうすれば、最良の光条件で撮影が可能である。いまから胸が躍る。

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