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2011年5月2日月曜日

進の日記、2011年 -121-

5月2日 月曜日 晴れ 

湿度が低くて気持ちの良い朝である。半袖で、小矢場公園コース。


2号棟の裏口から出るとすぐ右手で見事に咲いていた



ハナミズキの落ちた花弁と柵の白さが鮮やかだったので、




三色は、ナガミヒナゲシ、ハルジオン、背景のツツジ



松本邸の夏椿ももう蕾がひとつ白くなっていた



芝西小学校の裏庭もすっかり緑、タイルのベンチが見えにくくなった



小谷場商店街はずれで



ベニカナメモチの花




ライラック



ライラックの影に咲くクレマチス




柿の蕾も



豪華絢爛



線路沿いの道、普段なら通勤者が並んで通るのだが




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福島第一原発の事故直後に、原発の事務所で働いていた女性事務職員が二人、規定量以上の被爆をしていたという。あの状況で、所内で働いていたとは、現場責任者がたかおくくっていたというか、原子炉の危険性に対する感覚が麻痺していたとしかいいようがない。

かって、七階に放射性同位元素実験室を含む実験室、学生実習室、研究室などがある建物で、エレベータが止まってしまった。七階の二つしかない階段ホールへの防火扉には両方共鍵がかかっていて、入れなかった。そこで、一階の事務室にいって、防火扉の鍵をくださいと事務長にいったら、鍵の責任者がどこかに行っていてわからないという。
僕は激怒して、直ちに、鍵の責任者を探させると同時に、鍵を探させた。当時、僕は七階の責任者だった。もし七階に今火事が起これば、七階の学生、教員、職員の全員が蒸し焼きになる可能性がある。しかし、事務長はなんらの心配もしてないし、鍵の責任者は事務長に叱られたためが僕に対して腹を立てて、しばらく口をきいてくれなかった。

僕は自衛のために、事務長に交渉して、二つの防火扉の鍵のコピーを2組作らせて、一組は自分で持ち、もう一組は七階の事務室においておいた。幸い、事務長も僕も定年退職するまで何事も無く、その二組の鍵は緊急の役にはたつ事はなかった。安全というのはこうゆうことだと、改めて思った。




















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