Facebookにある方が今年は喪中を知らせる葉書が例年になく多いと書いておいでだった。僕のところにもいくつもの喪中で年賀欠礼のお知らせがとどいている。やはり例年になく多い気がする。
今年亡くなった若い頃からの親友だったKや、最初の弟子だったY君の奥さんからもいただいていることが、一層その感を強くしているのかもしれない。また大学院時代の後輩だったH氏も奥さんをなくしておいでだった。
もっとも、ただ単に僕が歳をとってきていることから、交友関係のある方々やそのご家族も年々、年をとってきておいでになる。したがって当たり前のことなのかもしれない。
この冬も例年のように霜がおり始め、木々が葉を失い、寒さが厳しくなる一方、早くも春の兆しが見え始めている。個体の命は短くても、生物の種としての命は長く、さらに地球の命はもっと長い。われわれは生物種や地球の周年変化は感じても、その加齢変化はほとんど感じるとることが出来ない。
いつか、急に生物種が次々と死に絶える時期がやってきたり、惑星が次々と終末を迎える時期がやってくるのだろう。
日記を書き始めようとしたら、何故か、こんなことが頭に浮かんでしまった。今朝は六辻標準コースを走った。
6時3分、東の空が明るくなり始めるのは6時頃からなのだろう。まだ暫くは明るくなるのがおそくなるはずである。
団地の建物の東よりの壁面は東の空の明るさが反射して、明るくなっている
街灯に露出をあわせて、さらにマイナス2に露出補正をして撮った月
欅の根元に小さな花が咲いていた
空が明るくなるとそのままの露出で月が奇麗に写るようになる、文蔵で
文蔵神明社の木立にかかる月
六辻水辺公園遊歩道ではもう水仙が何輪か咲き始めていた
辻では木瓜が満開
蕨高校通りの歩道に落ちた花水木の枯葉
中庭の水仙の蕾が被いから顔をのぞかせ始めた
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