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2010年6月16日水曜日

病床五尺 その32 看護・介助について

 退院まであと丸3日を切った。

 今日は看護ということについて考えてみた。

 ここで、ほぼ1月間は身動きがほとんどできない安静中の患者だった。ただ僕の場合、意識ははっきりしていて、口も完全にきけて、看護をする人との意思疎通に不自由はなかった。しかし、同室には重症で意識があるのかないのか不明な状態であったり、意識はあっても口が自由にきけない人もいた。もっとも僕だって最初の2日くらいは、動くたびに襲ってくる痛みにばかり意識が集中して、半ば朦朧としていて食欲もない状態だったが。

 重症者の場合、輸液、ストマックチューブ、痰の除去、口内の清拭、などの看護士の行う看護と、排便排尿、体の清拭、食事の世話などヘルパー(介護士)が行っている介護とがある。これらの作業の際、意識がはっきりしない患者の場合は、かなり困難なことが多い。「向こう向かないで」「おむつに手を突っ込むと手袋しちゃいますよ」「あ、動かない、
すぐすみますからね」などと声が聞こえてくる。
 しかし、感心するのはこういった看護介護作業に、全員が忍耐づよくかつ明朗に携わっていることであった。腹を立てたりしているのを見たことがない。さらに看護士でもヘルパーのするような作業を臨機応変に手伝っていて効率的だった。

 ここの看護士とヘルパーがそれぞれが自分の仕事を的確に効率よくこなしている姿は見ていて気持ちがよかった。
 たとえばI看護婦さんは僕に下剤の座薬を入れると、あたふたと隣の部屋にほかの患者の看護をしに行った。そして下剤が効いて排便が終わると同時に、それを見てたかのように、ぱっと顔を現して「出たかな?」といった。感心して「すごーい、流石はプロ」っていったら、「まぐれですよ」と謙遜。
 看護婦のYさんは食事の際にベッドの上半分を持ち上げてくれたのだが、急に持ち上げると腰が痛む角度域がある。そこにくるとぐっと速度を落としてくれるのである。僕がどこで痛みを感じるというのが分かっている。小さなことだが、すごいことである。次善のレベルの人は、ただひたすら一様に遅い速度で動かすので時間がかかる。新米の人は元気いっぱいどんどん動かしている。「痛いからゆっくりね」と頼んで、はじめてゆっくりにしてくれる。たったベッドの上半分をハンドルを回して持ち上げるという操作ひとつとっても腕の違いがある。もちろん、経験も年齢もまちまちで20代から60代にわたる人たちがいるので、技術のレベルに違いはあるが、それぞれ自分なりに、まじめに、骨身を惜しまずに働いている。
 以上のことは看護・介助の技術的問題について述べたが、看護・介助には精神的(心理的)な問題もある。いかに適切な作業でも、それをいわゆる職業的な冷たい態度で、機械的にやられたら患者は傷つくし、悲しくなるに違いない。

 その点、ここの病院の看護婦もヘルパーも皆明るくて、親切で気持ちがいいのには驚かされた。ずいぶん、汚い仕事や、面倒くさい仕事があるのに、朗らかに、元気にこなしていくのである。しかも夜勤のときは人数も減っているのに、ナースコールににこやかに答えてくれる。この点は驚くほどである。腹を立てたり、乱暴な言葉を投げつけたりしているのを見たことも聞いたこともなかった。

 お見舞いに来ていた向かいのベッドの人の娘さんが、「私が入院してたところと違って、ここの人たちは親切なのねー、驚いたわ、患者が男だからかな?」 と面白いことを言っていた。それもいくらかはあるかもしれないが、基本的にそういった問題ではないと思う。明るくて親切なのはここの病院の人たちの気風とでもいうものだろう。

 ある年配の看護婦さんは僕のために、僕の手が届かないところにある、電燈のスイッチを押す棒を、針金のハンガーと包帯でわざわざ作ってきて下さった。この棒は僕の宝物である。

 要するに看護には肉体的な面と、精神的な面がある。前者は患者の肉体を快方に向けるべく、また出来るだけ苦痛がなく快適であるように適切な処置をしてくれることである。後者はともすれば病苦や自由を奪われたことからくる、落ち込みやすい精神状態を少しでも明るく、楽にすることである。
ここの病院は看護婦もヘルパーも(ここでは全員女性)明るい朗らかな人が多くて、常に笑いと頬笑みが絶えない。患者とも仕事上以外の気軽な会話が頻繁にかわされている。患者と看護・介護に当たる人との関係が職業だけでなく、適度に人間的な関係もここには存在している。6月12日に退院していった児島老人などの場合はその見事な例であろう。
 
 ところで、子規の「病床六尺」の中に病人の介抱ということについて書いた章がある。根岸の家で彼の介抱にあたっていたのは、故郷の松山から出てきた母親と妹の二人だった。 彼はこの二人の手厚い肉体的な介抱については特に取り上げて感謝してはいないが、具体的な事実の記述から、それが実に立派なものであったことは容易にうかがい知れるし、彼がそれにいかに頼っていたかも明らかである。

 しかし、子規は彼女らの介抱に飽き足りないものを感じていたのである。子規は介抱の中に知的な会話こそが必要だと感じていた。そして、それが出来ないのは彼女らに教育がなかったことによると断じていて、女子教育の必要性について述べている。もっともこのように述べると、病人の介抱のために女子教育が必要というような風に取れてしまうが、彼はこの介抱ということを通して、一般的に女子教育が必要だと述べているのだと思う。ここでいう、介抱とは今でいう介助のことと言ってよいだろう。

 子規は、さらに見舞いに来る弟子たちについても面白いことをいっている。弟子の中でも一番いい見舞客は鼠骨(寒川鼠骨)だというのである。その理由は、彼は話題が豊富で、かつ聴き上手でもあって、人をそらさないうえに、ユーモアにも富んでいるのがいいという意味のことを書いている。僕の弟子にはそれに該当しそうな人はいないが、元の同僚の石垣春夫氏がもっともそれに近いといえよう。

   小夜時雨上野を虚子の来つゝあらん  子規

 という句にもあるように、子規が一番信頼し愛していた弟子は虚子であることはつとに有名である。このことは病床六尺の文章の中でも察っせられる。
彼は死期の近いのを感じたとき、返す当てがないことを知りながら虚子から二十円を借りて、その一部で、自分の誕生日に有名な料亭から3人前の豪華なお膳を取り寄せて、母と妹の3人で食事を楽しんだのである。彼はその次の誕生日を迎えることなく世を去った。

   をととひのへちまの水も取らざりき 子規


 では子規の見方で言うと、ここの病院の介助にあたっている女性たちはどうであろうか。おそらく全員、高等学校以上の教育は受けているに違いない。しかし、子規が要求していると思われる知的な会話まで要求するのは無理としても、冗談を交わしたり、テレビや新聞の話題に触れたり、ときには子供との関係について話したりと、話題は結構豊富であった。しかも、冗談が好きで、快活で楽しい雰囲気を撒き散らしている。精神的な介抱ということでも、かなりの高点がつけられると思う。

 ただ、子規の場合、家族という点で、少し考慮すべきだったろう。家族内だと、案外、話題が乏しくなるのが普通なのではないだろうか。

 老人施設などの良否の判断には、介護の身体的な面と、精神的な面の二つから見ることが必要であろう。


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