11月20日 日曜日 晴れてくる
僕がジョッギングを始めるようになったのにはきっかけがある。僕は若い頃から身軽で山登りは得意だった。重荷を背負って階段を上るなどというのも割りと平気だった。その頃の体重は54か55kgぐらいだった。
それが45歳のときに煙草をやめたのがきっかけだったのか、段々と体重が増えていった。しかし、特に気にすることもなく、若い頃からの大食いの習慣も改めようとはしなかったし、体調に特に異常もなかった。50台も半ばに近づいたある日のことである。研究室の若い人たちを一緒に箱根にエクスカーションに出かけた。折悪しく強風でロープウエイが運転を中止して、大涌谷から駒ケ岳頂上に向かった歩いて登ることになった。
ところがである。山登りが得意のはずだった僕は、なんと息が苦しくてみなと一緒には登れなくなっってしまた。そこで、みなには先に行ってもらい、独りだけ遅れてゆっくりと登りだした。すると、行く手の木陰から先に行ったはずの学生の一人が僕の様子をうかがっている。石居先生が倒れていはしないか心配になって、交代で偵察が来ていたのである。
これは僕にとってショックだった。みなのお荷物には絶対なりたくなかった。僕は負けず嫌いでないとはいわないが、人様の迷惑には絶対なりたくなかった。そこで、運動をして何とか体重を減らそうと決心した。
まず始めたのはウォーキングだった。池袋の駅から早稲田まで往復歩くのである。池袋から雑司が谷の墓地を抜けて、目白通りを横切って、都電の早稲田駅付近に出でてくるというルートであった。
もう一つは、池袋から雑司が谷の鬼子母神を通って目白通りを横切り、都電の面影橋か早稲田駅付近に出るというコースであった。片道で大体35分くらいかかった。ただ、うっかり目白通りで女子大の可愛らしいオネエサンの姿に見とれていると、40分になってしまうので、目白通りに出ると、しっかりと地面を見つめてよそ見しないようにして歩き、35分を維持するように努めた。
ところがとうじ70kg位になってきていた体重が増加は止まったが一向に減少しないのである。そこで、致し方なくジョッギングを始めてみた。まず朝走ろうか、夜走ろうか、どちらにしようと考えた。まずはデブがよたよたは知ってる姿なんかを人に見られたくないので、朝走ることにした。それに夜は会合があったりして遅くなうことも多いので、走るのは無理な日が多くなりそうだった。朝早くならまずは用事で走れないということはないはずである。
ということで、朝走ることにした。しかし、朝だと問題なのは冬の寒さである。しかし、そのときはまだ夏だったので、それは冬になったら考えることにして、とにかく6時頃から走りに出ることにした。
これが僕が毎朝ジョッギングをするkとになった理由なのである。確か、55歳の八月の半ば過ぎてからだった。したがって、中断期間を入れて今年の夏で24年になる。走り始めたら色々な問題が起こったが、それについては次の機会に譲りたい。
これは昨日の日中、昨日はずっと雨で、遠景がひどく霞んでいた
昨日の3時半頃、雨が降っていて遠景は霞んでいた
5時54分、曇っているのでまだ暗い
中庭の地面は昨夜の雨でまだ濡れていた
文蔵の彼岸花の栽培品種、毎年咲く
六辻水辺公園遊歩道の黄葉紅葉
辻のコウテイダリアもまだ濡れて咲いていた
何の実だろうか
六辻交差点付近、外環下のトチの木、上半分が黄葉
いつもトチの木とホウの木の区別がつかないのである。一枚の葉に切れ込みがあって葉が手指状に分かれているのと、数枚の葉が放射状に並んで手指状になっているのとがあって、これが両種の差異なのだが、何時もどっちがどっちだか分からなくなる。
橡の実のつぶて颪や豊前坊 千代女
今日の写真のスライドショーはここをクリックすると見られます
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