目覚ましをかけ忘れたら、寝坊してしまった。昨夜の天気予報で今朝は特に寒いということで、弱気になっていたのが無意識に作用したのかもしれない。
かわりに午前中にイオンモールまで速足で歩いて、本屋に入り文春文庫のスティーブ・キングの作品を買う。このごろの文庫本には上下2冊になったのや、稀には上中下の3冊になったのまである。今回買ったのも上下の2冊からなる(2巻といいたいところだが文庫本に巻とは大げさなので)。 こうなると、一つの小説が2千円以上になって文庫本といっても安いとはいえない。
モールの中の電気店を覗くとNikonの新しいディジタル一眼カメラの Nikon 1 の J1と V1 というのが置いてあった。軽いし小さいし、色々な機能が使いやすくなっているようだ。レンズも値段は高いが35mm相当で27mmから270mmまでのズームもある。マウントアダプターを使えば今もっているFマウントのレンズも使えるのである。
撮像素子はCMOSではあるが、サイズが13.2x8.8mmと小さい。APS-Cの三分の一、フォーサーズの半分くらい。それでも今使っているリコーのコンデジCX-3の3倍くらいはある。
もっとも、いま、わが家の目の前の書棚の中にごろごろ横たわっているいくつものデジカメを見ると買うのは躊躇される。それに Nikon は古いのも入れてコンパクトデジカメが2台、ディジタル一眼が3台もあるので、気が引ける。
ということで、やはり買うのはばらく考えてからということにしよう。
中庭の水仙、意地比べはまだまだ続きそうである
樋ノ爪遊歩道のハナミズキの蕾はまだまだ固い
イオンモールに向かう途中で見つけた黄水仙(キズイセン)
ふつう、青い(あおい)、赤い(あかい) というが 黄い(きいい?)とはいわない。黄色い(きいろい)という。「青・赤・黄」と並べたときは「あお・あか・きい(き?)」というように思うが。何故だろうかと考えた。
ほかの色にかかわる形容詞で「い」で終わるのがないか思い出そうとしてみた。黒い、白い というのはあるが、紫い、緑い、紺い、茶い などというのはない。さらに「黄色い」「茶色い」とはいうが「紫色い」「緑色い」などとはいわないし、「黒色い」「赤色い」などともいわない。色に関係するのにはほかに「濃い」「薄い」というのがあるが、「濃い色い」「薄い色い」ともいわない。ということで、何がなんだか分からなくなってきた。
整理すると、色の中で赤、青、白、黒 は「い」がつくが、ほかの色はつかない。黄と茶だけは「黄色い」「茶色い」というように色の後に「い」をつけるがほかの色にはつけない ということである。
整理すると、色の中で赤、青、白、黒 は「い」がつくが、ほかの色はつかない。黄と茶だけは「黄色い」「茶色い」というように色の後に「い」をつけるがほかの色にはつけない ということである。
このきっかけは、実はテレビの気象情報(この頃は天気予報とは言わないのかも)である気象情報
士が色の濃淡を言うのに、「コイイ」といういい方をしていたことにある。
僕の両親は東京出身の人間なのだが「濃い」というのを「コイ」と読むが、僕が小学校半ばからほぼ9年間暮らした北九州では「コイイ」というように思う。多分、西日本では「濃い」は「コイ」でなく「コイイ」というのではないかと思う。そこで「濃」が「コ」であるか「コイ」であるかによって、上記の「コイ」と「コイイ」の違いが出来たのではないかと考えた。そこで、「黄」も「キ」か「キイ」かという違いがあるのではないかと思い、始めに述べたことに入っていったのである。
さらにここでもう一つ気がついた。西日本では「黄色い(キイロイ)」というのを「黄?ない(キナイ)」というのではなかったかということである。そうすれば「アカイ」「アオイ」「シロイ」「クロイ」「キナイ」となって、この言い方に色が一つ増えることになる。
この問題はよく整理して、誰か日本語に詳しい人に聞いてみなくてはと思った。
紅梅の蕾も咲きそうになっていた、芝で
まだ咲き残っていた十月桜
昼休みの小学校校庭、子供の顔が見えない写真を選んだ
木瓜の花
黄色い花の薔薇、いや、きない花の薔薇
今日の写真のスライドショーはここをクリックすると見られます
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