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2010年6月4日金曜日

病床五尺 その21

6月4日 金曜日 晴れ

 今日は5時過ぎに目が覚めて、FMのスイッチを入れると、シュトラウス一世の有名なラデツキー行進曲が賑やかに聴こえてきた。名曲の小箱だった。東京フィルの演奏。

この曲はいつのころからかウイーンフィルのニューイヤーコンサートのアンコールの最後に演奏することになっている。クラシック音楽のコンサートでは観客が手拍子をとることはないのだが、この曲だけは特別で、指揮者が観客に向かって手拍子のキューを出すようにさえなっている。ウイーンフィルが東京に来てニューイヤー・コンサートをやったとき、大枚をはたいて聴きに行ったが、そのときもそうだった。ちなみにアンコールの最初の曲はこれも有名な、「美しき青きドナウ」に決まっているのである。

今朝はこの手拍子について面白いことを思い出した。僕がシアトルで生活していたころ(1974年ころ)だったと思う。テレビでこのニューイヤー・コンサートの中継を聴いて、この手拍子に感激して、あるアメリカ人の女性にそのことを話した。
彼女は「それはおかしい。日本では手拍子をとるのかも知らないが、アメリカでもヨーロッパでもクラシックのコンサートで手拍子などはとらない」というのである。でもそうだったと僕がいうと、「それ、日本だからじゃなかったの」というので、腹が立った思い出があった。確かにクラシックコンサートでは日本でだって、手拍子を聴いたことはまずない。

そこで、このウインフィル、ニューイヤーコンサートのラデツキー行進曲について調べてみた。
すると、ウィーンフィル3人目の指揮者だった、ヴィリー・ボスコフスキーのときにこのラデツキー行進曲の手拍子が始まり、彼は1955年から1979年までの間、その職にあったと分かった。僕がそれを聴いたのが1970年代だったのだからおかしくはない


おそらくこの習慣が始まった初期のころで、世間ではこの手拍子についてはあまり知られてなくて彼女がああいう発言をしたに違いないと分かった。

  以上、古い忘れかけていた会話の思い出である。相手が誰だったか、女性だったとしか記憶にない。


夜勤のヘルパーはFさん、優しい人で、彼女も夜は静かに行動をするが、昼間は元気。


隣のベッドのKさんが「お母さん」と言った。彼女は笑いながら僕のところに来たが、その明るい笑いの中に一抹の寂しさを感じた。彼女もまだ若い気持ちでいるのだろう。
そこで僕が、「Fさんの笑顔は優しいから、そう呼ばれるんですよ。若いつもりでもあっというまに年月がたつんですよね」といったら同感して、またいい笑顔をうかべてくれた。


 昨夜、教え子Kからの贈り物の枕が届いたときも、其れを届けに来たFさんは今の枕から、ピローケースをはずして、そこに新しいのを入れてくれた。さっそくしてみたら心地よい。まずKさんに感謝。そしてFさんにも。



今日の日勤のヘルパーは近所の住人YHさん。彼女はほかのひとたちより、ちょっと大人しくてひっこんでいる。でも仕事はてきぱきしている。


今日はKさんと言う看護婦さんが血圧測定に来た。

血圧126と82 酸素96%、体温36.6度
 上は低いが下はやや高い。
 
 Kさんは普段は2階で勤務していて、今日だけ上に来ていると言っていた。2階から来た同室のYさんを知っていた。


午後はYさんの娘さんがお見舞いに見えていた。色々な話題で対話をとぎらせない。一方的に話すのでなく、対話になっていて、思いやりのあるいい娘さんである

僕には息子しかいないのが残念。もっとも親が親なら子供も子供と言うこともあるから一概に娘がいてもそうはいくとは限らないか。


今日はマイミク仲間の琥珀さんからカードとお見舞いの句をいただいた。

病床の師は朗らかよ夏兆す

 さすがにお上手である。自分の駄句が恥ずかしい。いつか腕をあげて、返句をさせていただけたらと思った。勉強勉強。それに師とはお恥ずかしい。




 夜、あたふたとO先生が飛び込んできて、あれ車椅子まだでしたっけ という。ええと返事すると、明日持ってきますと言って出て行った。明日は土曜なので、大丈夫なのかな?




2010年6月3日木曜日

病床五尺 その20


6月3日 木曜日 晴れ

 ここの天井にはフックが付いている。まさか病をはかなんで死にたくなった人のためにあるのではあるまい。何か器具か布団をつるすのに使うのだろう。




 4時ころに目がさめてしまう。子規の仰臥漫録を読んでいると赤羽のつくしを読んだ歌がいくつか出てきた。そのうちの数首、

赤羽のつつみに生ふるつくつくし 老いほうけけりつむ人なしに
赤羽のつつみにみつるつくつくし 我妹(わぎも)と二人つめど尽きぬかも
つくつくしひたと生ひける赤羽に いさ君も往け道しるへせな
赤はねの汽車行く路のつくつくし 又来む年も往くきてつまなむ
うちなけき物なおもひそ赤羽の 汽車往く路につくつくしつめ
痩せし身を肥えんすべもか赤羽に 生えんつくつきしつみにしあるべし

 さっそく、こよなく赤羽を愛する教え子、Kに送ってやる。文学青年だった、そして国語の教師だったご尊父はご存じだったに違いない。

 邦楽の時間には清元「神田祭」、明神下あたりの雰囲気。
バロックの森はペルゴレージュ。

「天の王国に」、「サルヴェ・レジナ ハ短調」「ソナタ ト長調」それに                                
「歌劇奥様になった小間使いから 第1部」セルピーナ(ソプラノ)パトリチア・ビッチーレ ウベルト(バス)ドナート・ディ・ステファノ(演奏)ラ・プティット・バンド (指揮)ジギスヴァルト・クイケン

  この最後の曲はインテルメッツォといって、オペラの幕間にやるコミカルな劇で幕間が2回あったので2部になっているという解説があった。昔習ったオペラ・ブッファの始まりかと思う。
                                                                                                                                
 夜勤のヘルパーはIさんだった。朝から甲斐甲斐しく働く。夜勤は看護婦2人、ヘルパー1人で、3階と2階を受け持っているとのこと。入院は57床とあるのでヘルパーは1人で最大57人を担当することになる。かなり大変。

 今日の朝食もゆっくりと、座って食べられた。お向かいのYさんと話もしながら。

 リハビリは午前、Tさんの高校のときの担任は早稲田の生物の卒業生らしい。56歳くらいと言うから、比較的初期の人だろう。今日、さっそくメールして知らせるというので、僕のメールアドレスを高野さんから知らせてもらうことにした。

 10時半ころにY看護婦さんが、「もうじきお風呂で、若い子ばかりでお世話してくれますよ」という。すぐにFさんとIさんがストレッチャーを持ってお風呂ですよーと迎えに来た。体を左回りに回転させてストレッチャーに移った瞬間、ストレッチャーがぐっと左に90度回転したのでびっくり、と思ったのは間違いで、眩暈だった。すぐに回復し、2階の浴室へ。本来順番は最後だったらしいのだが、布施さんたちが勘違いしたらしい。五分ほど待って、女性の次に入れてくれた。名前が分からない、氏名不詳の人とMさんの二人のヘルパーがストレッチャーの上でシャワーをかけて体を洗ってくれる。頭も洗って、髭まで当たってくれた。体を洗ってるときに、足上がりますかというので、1本目の足も2本目の足も上がるけど、3本目は上がりませんと言ったら、不詳の人は笑ったが、Mさんは「上がる」を「洗う」と勘違いした。「じゃーおまたはご自分で」といって、タオルを渡されて3本目の足は自分で洗うことになった。まー、そのほうがいいか。

 血圧は128と85、他のデータは訊き損ねた。

 午後、OSさんが来る。僕の好物と、彼が代表理事をしているNPO健康温水浴連合会を紹介したテレビ埼玉の番組のDVDを持ってきて下さった。

 今日、仰臥漫談を読み終える。得るところ大。


2010年6月2日水曜日

病床五尺 その19

6月2日 水曜日 晴れ

 眼がさめて少ししてNHKFMを聴いたらバロックの森には似つかわしくない曲が聞こえてくる。変だと思ったら、少し時間が早くて「名曲の小箱」でパガニーニの「奇想曲 第24番」 バイオリンは加藤知子だった。
 さてバロックの森、今週はナポリの音楽と言うテーマで、今日はアレッサンドロ・スカルラッティの曲5つ:
「カンタータ僕のクローリ、美しいクローリ 「チェンバロ協奏曲、トッカータ ニ短調」「同じく、トッカータ ト短調」「カンタータ、オルフェオがそれを知ってから コンチェルト・グロッソの12のシンフォニア集から シンフォニア 第10番」、カンタータのソプラノはクリスティーナ・ミアテルロ、リコーダ、チェンバロ、ヴィオラ・ダ・ガンバの伴奏。優雅な曲ばかりだった。
 
 9時前にO先生が現れて、体を起こしてベッドのふちに腰掛けてみてくださいという。恐る恐る試みてみたら、案外痛みも少なく簡単にできた。これで車椅子、歩行と移って行きまそうとおっしゃった。やはり3週間の安静の効果ですねということだった。あとはまだ残っている痛みがどうなっていくかだ。僅かづつではあるが確実に減ってきてる。

 午後、元の同僚、数学のI先生ご夫妻がおいでに。ハーゲンダッツのアイスクリームとコーヒーをいただいた。 子規は「病床六尺」の前の病中日記「仰臥漫録」で介抱ということについて、「余の家に来る人にて病気の介抱は鼠骨一番上手なり 不快のときもついにうかされて一つ笑うようになること常なり 彼は話し上手にて談緒多きうえに調子の上に一種の滑稽あればつまらぬことも面白くきかさるること多し(中略)その上彼は人の話を受け継ぐこともじょうずなり」と書いてあったがI先生はまさにぴったりの人である。ただ残念なことに折悪しくMRIが入ってきてしまい、間もなくお帰りいただかざるを得なかった。お宅から数キロなので自転車か徒歩でまた来て下さるとのことだった。

 MRIの部屋まではストレッチャー、3人がかりのベッドからストレッチャーへの移動、ストレッチャーから撮影台への移動も今回はほとんど痛みがなくできてほっとした。
ただ密室で20分間動かずにいるのはかなりの負荷である。高い磁場がかかると、肌が僅かだがピリピリした。咳もくしゃみも幸いなことに、出なかった。終了した時はほっとした。ここの機械はGEの1.5Tの出力のものだそうで4年前に入ったとのこと。

夕食もベッドを傾けて、大声で同室のYさん、Kさんと話をしながら食べる。昼よりはるかに楽で食べ終わっても話が続けられたくらいだった。終わったら、流石の僕も少し喉ががかれたくらいだった。
 Yさんは小岩の生まれで、某有名会社、およびその子会社の社員だったという。僕のところに見舞客が多いので、僕は現役の会社員で見舞いは勤め先の顧客かなんかかと思ったとのこと。僕はエネルギーにあふれてますねとおっしゃる。本人はまったくそういうつもりはないのに。

 食後、O先生がMRIの画像を持ってきて見せてくださった。第二腰椎が後ろに飛び出して神経管を圧迫してる様子は認められなかった。これで最初の所見通りで、あとは再度押しつぶさないよう辛抱強くやっていきましょうとのことだった。
 写真はMRI画像の一枚。
上下に重なる糸巻き形のものが椎骨で中央の白っぽいのが潰された第二腰椎、上の黒っぽいのが第一腰椎、下が第三腰椎。右側の上下に長い真っ白な紐みたいのが脊髄の神経管。第二腰椎が後ろにはみ出して神経管を圧迫して潰している様子はない。これで大安心。


  
 周囲のすべての人たちに感謝したい。僕は恵まれています。

2010年6月1日火曜日

病床五尺 その18


6月1日 月曜日 晴れ

 ベッドの上に小さな四角に陽が当っているので晴れとわかる。

 今朝は5時半に目が覚めた。どういうわけかバロックの森を聴き損ねた。二度寝をしてたのかも。それに朝食も珍しく美味しく食べられた。

 朝食後、朝には珍しくO先生が見えて、今日はMRIをやるので体に金属は入ってないですよねと言う。X線で見た限りでは問題ないけど、神経との関係もみたいのでとのたまう。後になって、歯の金属はどうなのか訊かなかったのに気がついた。
 しかし、今日は混雑していて、明日の午前に延期、午後にO先生に手術が入ってるとの情報もリハビリのTさんから入っていた。
 今日はベッドを90度(実際は60-70度)くらいまで傾けて15分耐えられた。最初の30度10分よりかなり楽だった。Y看護婦さんが慣れたんですねという。午後も同じくらいやってみた。

血圧は122と84  酸素97% 体温36.5度。

昨日はなんと一時に7人もの人がお見舞いに来て下さり、ベッドの周囲が賑わった。その後もうひとり来たので総勢8人にもなった。色々と言い方を変えてみた。

五月晴れ臥床に友の多かりき
 友多し臥床の窓は五月晴れ
 五月晴れベッドの周りに友あふる
 五月晴れベッドの周り顔と顔
 五月晴れベッド周りの顔と顔

 昨日から「病床六尺」を読み始める。色々と同感するところが多い。看護のことについて書いてあったが、彼の方が僕よりも我儘で女性は男性に尽くすものだと思っている節が所所に認められる。時代の差か。
 病苦をいかにして乗り越えるかという精神上の問題を書いてあった章には得るところがあった。彼の主張する写生ということも面白かった。
 彼は若干35歳かそこらでこの作品を残し、最終章執筆ご3日で世を去ったという。精神年齢の大きな差を感じさせられた。
 
 午後、Aさんが、ついでF氏が来て下さった。お二人からそれぞれの故郷のお話、またF氏からは、加えて、ご両親のルーツや、それをたどった大洲への旅のお話をうかがい話が盛り上がる。リハビリのTさんが姿を現して終わりにした時はすでに4時半になっていた。

 夕方、ヘルパーのIさんから職歴の話を聞いた。保育系の高校をでて、保母さんを7年間やってたんだそうだが、3人目の子ができたので止めたという。その後、郊外店の夜勤のバイトを始めたが35のときに夜中の仕事はつらくなったので、独り住まいの老人の家に食事などを配達する仕事を始めたのだそうだ。そのとき、ただ挨拶だけで帰ってきてしまうことの疑問を感じて老人のことをもっと知ろうと思って介護の講習を受けてヘルパーの資格2級をとり、最初は公営の施設で働いていた。
 しかし、そこでの仕事は毎日、ただひたすらにポカリスエットを老人に匙で飲ませるだけで、その上、施設が不完全、老人の扱いが機械的だったりすることに疑問を持ったのだそうだ。それでそこをやめて、認知の勉強をして、縁があったこの病院に入ったという。いまはケアマネージャの資格を取るべく勉強中とのことだった。
 こうかくと簡単だが、感動的な話である。話の途中に「自分で勝手にそう思ってるだけだけど」とか、「わたしはばかだから」と言うような注釈が入るが、其れを含めて、社会に疑問を感じ、それを解決すべク実行に移すという、見事な人生を送ってきた人とわかった。

 今日は夕方、部屋のカーテンを広く開けてくれたので、窓がよく見えた(写真1と2)。






病床五尺 その17補遺

 Y氏から31日夕方、写真を送っていただいた。ご近所の親しい7人もの方々に囲まれて、本当に嬉しかった。この写真には撮影してくださったI氏は写っていなくて残念。




2010年5月31日月曜日

病床五尺 その17


5月31日 月曜

今日の朝のバロック、最初の曲は聴き損ねた。
ミサ・ロム・アルメ第1曲から サンクトゥス」作曲者不詳                                                 
ラ・スパーニャの旋律による6つのレセルカーダ」ディエゴ・オルティス作曲
「すべての国々よ、主をたたえよ」  ディエゴ・オルティス作曲
「めでたし海の星」         ディエゴ・オルティス作曲                              
「王のパドゥアーナ」               作曲
「ガリアルダ」              作曲者不詳                             
「奥様、あなたがシャツを作ってくださるのなら」ジョヴァンニ・ドメニコ・ダ・ノーラ作曲
「お嬢さん方、ガリアルダを習いたいのはどなたか」ジョヴァンニ・ドメニコ・ダ・ノーラ作曲

 昨夜の夜勤はIさんと、Fさん、Iさんはガラッパチの豪快な人なのに、夜中入室するときは分からないくらい静かに入ってくる。夜中のKさんの看護も、ほとんど無言。大声を出す人もいるのに。気遣いのある有能な人である。

 昨日、FさんをHさんと間違えてしまった。髪型と顔の形、年齢がそっくりなので区別が難しい。若いから言葉づかいも似ている。失礼しました、Fさん。

 今日はNさんと言う看護士見習いの人が来る、血圧 137と92 酸素98% 体温36.8度、彼女は昼間働いて、夜、看護学校に行ってるんだそうだ。

 朝、ベッドを35度か40度くらいに起こして25分ほど耐えられた。

 午後2時ころにY氏、T氏、S氏、I氏、TM氏がそろって見舞に来て下さった。ふた組が入口で合体したらしい。さらにO氏ご夫婦までおいでになった。すごい人数で実ににぎやかだった。5この椅子が満員で、立つ人まで出た。話題がパソコンのことなどが多くなり、O夫人にはお気の毒だった。

 Y氏とS氏はほかの5人を残して少し先に帰り、残りの人たちはTM氏の車で帰った。

 教え子のKがその後に今日も来てくれ、夕食前までいて話し相手になってくれた。

 夕食前にベッドを45度で15分ほど。O先生が来て明日くらいから90度にチャレンジして 今週中に車椅子に乗るという。心もとない。

 同室のYSさんはここの病院は看護にあたる人たちが親切でとてもいいという。まさにそうである。そのうえ明るいのも病んでいる者にとって有り難い。




色づき始めた中庭の紫陽花(Y氏撮影)






この病院の全容(Y氏撮影)



人形(T氏撮影)





2010年5月30日日曜日

病床五尺 その16

5月30日 日曜 曇りか雨

1)バッハ、カノン風変奏曲天から降って
2)バッハ、チェンバロのためのトッカータ嬰ヘ短調とロ長調
3)ヨハン・フリードリッヒ・ファッシュ、組曲変ロ長調

 昨夜の勤務のヘルパーはFさん。優しく穏やかな人。夜中の介護に来たときには声を落として気を配ってくれる。前日か前々日の夜勤のヘルパーの人は逆で大声で眼が覚めてしまった。Fさんのおかげか、昨夜はよく眠れた。

 午前中に同室のSさんが奥さんが迎えに来て、退院していった。嬉しそうで、明日からお弁当持って仕事に行くのだそうだ。タバコやめるのには食後に果物食べるといいって言ってあげたので、奥さんがお弁当に果物を入れると言っていた。陽気で賑やかな夫婦である。


看護婦のYOさんが血圧に測定に来る。117の63、血中酸素97%、体温36.8度。

今日のヘルパーはIさん。Iさんは子供が三人、高校生や中学生。高校生の男の子、陸上の中距離をやっているという。中学の時はサッカーだったそうだ。下二人は女の子、上の子はトロンボーンやってたのが、今はバドミントンに夢中、下の子もブラスバンドとのこと。彼女は高校の時はコーラスをやっていたそうだ。

 午後には長男の嫁とトロンボーンを吹いている孫娘が家人と一緒にやってきた。孫の用事があるとかで1時間ほどいて帰った。孫はガーベラを5本持ってきてくれた。孫たちとはほとんど入れ替わりにOHさんご夫妻が来て下さり、4時ころまで話をする。ご主人には前回の怪我の時に、背中に背負って家まで連れて行っていただいた恩義がある。

 今日はベッドの傾けを40分くらいやった。2回目は30分、夜ももう一度試みたい。

 看護婦のYOさんは花が好きで小さな庭に夏は花を植えるという。果樹もあるらしい。今年は色々な色のパプリカを植えたそうで楽しみなんだそうだ。料理もできないのにねと謙遜する。歳とってから看護士の資格をとったのでまだ3年の新米だとこれも謙遜する。

 この前から同室のKさんが、机の上に置いてある下剤の投薬の度に、薬の有効期限が10年も前で古いんじゃないかと言って心配していた。そのたびに看護婦さんが2013年が期限だから大丈夫と言い聞かせてたが、納得できないらしかった。今日もそのことを言い出したが、今日は看護婦さんがゆっくり相手をしてあげて、僕も加わって、あれこれ話し合っているうちに、彼は2013年を平成13年と勘違いしてたことが分かった。彼もわかったみたいで、耄碌しちゃってと盛んに恐縮していたが、単なる勘違いだと思う。96歳で薬の有効期限に気をつけるんだから、耄碌どころではないと思う。とにかく、これでここ数日来の彼の悩みが解決してよかった。

今日の一句 枕元にガーベラ5本孫来たる

ガーベラは僕の好きな花の一つ。夏の季語とも、春の季語とも書いてあった。