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2010年6月1日火曜日

病床五尺 その18


6月1日 月曜日 晴れ

 ベッドの上に小さな四角に陽が当っているので晴れとわかる。

 今朝は5時半に目が覚めた。どういうわけかバロックの森を聴き損ねた。二度寝をしてたのかも。それに朝食も珍しく美味しく食べられた。

 朝食後、朝には珍しくO先生が見えて、今日はMRIをやるので体に金属は入ってないですよねと言う。X線で見た限りでは問題ないけど、神経との関係もみたいのでとのたまう。後になって、歯の金属はどうなのか訊かなかったのに気がついた。
 しかし、今日は混雑していて、明日の午前に延期、午後にO先生に手術が入ってるとの情報もリハビリのTさんから入っていた。
 今日はベッドを90度(実際は60-70度)くらいまで傾けて15分耐えられた。最初の30度10分よりかなり楽だった。Y看護婦さんが慣れたんですねという。午後も同じくらいやってみた。

血圧は122と84  酸素97% 体温36.5度。

昨日はなんと一時に7人もの人がお見舞いに来て下さり、ベッドの周囲が賑わった。その後もうひとり来たので総勢8人にもなった。色々と言い方を変えてみた。

五月晴れ臥床に友の多かりき
 友多し臥床の窓は五月晴れ
 五月晴れベッドの周りに友あふる
 五月晴れベッドの周り顔と顔
 五月晴れベッド周りの顔と顔

 昨日から「病床六尺」を読み始める。色々と同感するところが多い。看護のことについて書いてあったが、彼の方が僕よりも我儘で女性は男性に尽くすものだと思っている節が所所に認められる。時代の差か。
 病苦をいかにして乗り越えるかという精神上の問題を書いてあった章には得るところがあった。彼の主張する写生ということも面白かった。
 彼は若干35歳かそこらでこの作品を残し、最終章執筆ご3日で世を去ったという。精神年齢の大きな差を感じさせられた。
 
 午後、Aさんが、ついでF氏が来て下さった。お二人からそれぞれの故郷のお話、またF氏からは、加えて、ご両親のルーツや、それをたどった大洲への旅のお話をうかがい話が盛り上がる。リハビリのTさんが姿を現して終わりにした時はすでに4時半になっていた。

 夕方、ヘルパーのIさんから職歴の話を聞いた。保育系の高校をでて、保母さんを7年間やってたんだそうだが、3人目の子ができたので止めたという。その後、郊外店の夜勤のバイトを始めたが35のときに夜中の仕事はつらくなったので、独り住まいの老人の家に食事などを配達する仕事を始めたのだそうだ。そのとき、ただ挨拶だけで帰ってきてしまうことの疑問を感じて老人のことをもっと知ろうと思って介護の講習を受けてヘルパーの資格2級をとり、最初は公営の施設で働いていた。
 しかし、そこでの仕事は毎日、ただひたすらにポカリスエットを老人に匙で飲ませるだけで、その上、施設が不完全、老人の扱いが機械的だったりすることに疑問を持ったのだそうだ。それでそこをやめて、認知の勉強をして、縁があったこの病院に入ったという。いまはケアマネージャの資格を取るべく勉強中とのことだった。
 こうかくと簡単だが、感動的な話である。話の途中に「自分で勝手にそう思ってるだけだけど」とか、「わたしはばかだから」と言うような注釈が入るが、其れを含めて、社会に疑問を感じ、それを解決すべク実行に移すという、見事な人生を送ってきた人とわかった。

 今日は夕方、部屋のカーテンを広く開けてくれたので、窓がよく見えた(写真1と2)。






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