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2010年6月3日木曜日

病床五尺 その20


6月3日 木曜日 晴れ

 ここの天井にはフックが付いている。まさか病をはかなんで死にたくなった人のためにあるのではあるまい。何か器具か布団をつるすのに使うのだろう。




 4時ころに目がさめてしまう。子規の仰臥漫録を読んでいると赤羽のつくしを読んだ歌がいくつか出てきた。そのうちの数首、

赤羽のつつみに生ふるつくつくし 老いほうけけりつむ人なしに
赤羽のつつみにみつるつくつくし 我妹(わぎも)と二人つめど尽きぬかも
つくつくしひたと生ひける赤羽に いさ君も往け道しるへせな
赤はねの汽車行く路のつくつくし 又来む年も往くきてつまなむ
うちなけき物なおもひそ赤羽の 汽車往く路につくつくしつめ
痩せし身を肥えんすべもか赤羽に 生えんつくつきしつみにしあるべし

 さっそく、こよなく赤羽を愛する教え子、Kに送ってやる。文学青年だった、そして国語の教師だったご尊父はご存じだったに違いない。

 邦楽の時間には清元「神田祭」、明神下あたりの雰囲気。
バロックの森はペルゴレージュ。

「天の王国に」、「サルヴェ・レジナ ハ短調」「ソナタ ト長調」それに                                
「歌劇奥様になった小間使いから 第1部」セルピーナ(ソプラノ)パトリチア・ビッチーレ ウベルト(バス)ドナート・ディ・ステファノ(演奏)ラ・プティット・バンド (指揮)ジギスヴァルト・クイケン

  この最後の曲はインテルメッツォといって、オペラの幕間にやるコミカルな劇で幕間が2回あったので2部になっているという解説があった。昔習ったオペラ・ブッファの始まりかと思う。
                                                                                                                                
 夜勤のヘルパーはIさんだった。朝から甲斐甲斐しく働く。夜勤は看護婦2人、ヘルパー1人で、3階と2階を受け持っているとのこと。入院は57床とあるのでヘルパーは1人で最大57人を担当することになる。かなり大変。

 今日の朝食もゆっくりと、座って食べられた。お向かいのYさんと話もしながら。

 リハビリは午前、Tさんの高校のときの担任は早稲田の生物の卒業生らしい。56歳くらいと言うから、比較的初期の人だろう。今日、さっそくメールして知らせるというので、僕のメールアドレスを高野さんから知らせてもらうことにした。

 10時半ころにY看護婦さんが、「もうじきお風呂で、若い子ばかりでお世話してくれますよ」という。すぐにFさんとIさんがストレッチャーを持ってお風呂ですよーと迎えに来た。体を左回りに回転させてストレッチャーに移った瞬間、ストレッチャーがぐっと左に90度回転したのでびっくり、と思ったのは間違いで、眩暈だった。すぐに回復し、2階の浴室へ。本来順番は最後だったらしいのだが、布施さんたちが勘違いしたらしい。五分ほど待って、女性の次に入れてくれた。名前が分からない、氏名不詳の人とMさんの二人のヘルパーがストレッチャーの上でシャワーをかけて体を洗ってくれる。頭も洗って、髭まで当たってくれた。体を洗ってるときに、足上がりますかというので、1本目の足も2本目の足も上がるけど、3本目は上がりませんと言ったら、不詳の人は笑ったが、Mさんは「上がる」を「洗う」と勘違いした。「じゃーおまたはご自分で」といって、タオルを渡されて3本目の足は自分で洗うことになった。まー、そのほうがいいか。

 血圧は128と85、他のデータは訊き損ねた。

 午後、OSさんが来る。僕の好物と、彼が代表理事をしているNPO健康温水浴連合会を紹介したテレビ埼玉の番組のDVDを持ってきて下さった。

 今日、仰臥漫談を読み終える。得るところ大。


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