6月6日 日曜 晴れ
さすがに昨夜は熟睡できたが、ベッドの上半身が昨夜から少し上がったままになってたので腰がつらく、5時前に目が覚める。夜勤の豪快看護婦のIさんに水平してもらい6時5分前まで再眠。朝、回復の兆し。
バロックの森は
1)バッハの無伴奏チェロ組曲からハ短調 ――――― 渋い
2)ヘンデルのオラトリオ、ソロモンからシバの女王登場
血圧 118と76 酸素96% 体温36.9度
午後1時過ぎに親友K来る。げんこつ煎餅と日本橋屋長兵衛の金魚すくいなる菓子持参。前者はKの後者は奥さんの選択。
昨日、二つの俳句をいただいた。
A. 病床の師は朗らかよ夏兆す 琥珀さんの原作
B.病床の師はおほらかに夏きざす 上の句を見て木の葉さんが提案した句
まず師と呼んでくださって恐縮、しかし男とか、君というわけにもいかないし、爺では句にならない。
「朗らかよ」と「おほらかに」とについて、考えてみた。「朗らか」というのはどちらかというと外見である。琥珀さんは見た通り、印象の通りに「朗らか」と表現している。それに対して、木の葉さんは師の心の内面まで入ってそれを「おほらか」と表現しなおした。
琥珀さんは師を直接見て、その病床にあっても朗らかなのが強く印象的だったので、「朗らか」の後にあえて「よ」という助詞を使ったのであろう。一方、木の葉さんはここをすなおに「に」という助詞に変えた。それで全体がなだらかになって、流れがよくなった。
最後に「夏兆す」と「夏きざす」の違いである。見た目にも前者の方が堅い感じがする。後者の方が柔らかである。仮名で「おほらかに」とくれば「夏きざす」のほうが合う。漢字で「朗らかよ」なら「夏兆す」と漢字で続けても違和感がないように感じる。
ここで前後の関係をもっと見てみよう。「病床の師」との関係では「師」という言葉のイメージからは「おほらか」と来た方が、「朗らか」よりは似つかわしい。「おほらかな師」と「朗らかな師」では前者の方がかっこうがいい。師自身はどっちを好むかは別として、読んだ人が師をその時どう感じたかによって違ってくるに違いない。
また「朗らか」または「おほらか」と「夏」の関係である。「朗らか」とくれば、やはり「夏」だろう。「おほらか」には「夏」でもいいが「秋」の方がよりふさわしい気がするが、どうであろうか。
また「朗らか」または「おほらか」と「夏」の関係である。「朗らか」とくれば、やはり「夏」だろう。「おほらか」には「夏」でもいいが「秋」の方がよりふさわしい気がするが、どうであろうか。
たぶん、師を眼にして、そのときの印象を読んだのがAの句で、たぶん師の姿だけでなく人となりまで突っ込んで読んだのがBの句と言えるのではなかろうか。Aは生硬なところはあるが臨場感のある感覚的な句、Bは心の内面を現した流麗な句と言えよう。
なんて勝手なことを書いてみました、自分ではお二方には遠く及ばない、幼稚な俳句しか作れないのにひどいものです。でも利き酒は酒飲みでなくてもいいんだって聞いてましたので。
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