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2010年6月26日土曜日

リハビリ日記 その7 退院後1週間

6月26日 土曜日 曇り

 今日で退院後1週間になる。体調は遅々としか回復しないが、昨日から歩くのが急に少ししっかりし始めた。ところが、今日はやや後戻りの感じ。二進一退ということか!

 4時過ぎに目が覚めて眠れない。5時にシャワーを浴びて、6時から散歩に出る。7時ころに帰宅。30分ほど休んで朝食。

 昼食後、中国の写真を選ぶ。写真展はテーマを「アジアの国の人々」とする。チベット、インド、中国を選ぶことにした。

 3時すぎから散歩と思ったがストレッチと体操をやってからにしたので、4時近くに出かけた。雨が強くなり始めたので、40分ほどで帰宅。
 
 ツバメは午後に1-2枚、まあまあのが撮れたと思う。朝のも合わせて。

           
 親を待ちかねて   





さあ、おたべ!、 僕も欲しー!




満足して



2010年6月25日金曜日

リハビリ日記 その6

6月25日 金曜日 晴れ

 4時20分ころ眼が覚めると、カーテンが薄赤い。朝焼けだった。




 5時まで待ってストレッチと体操をし、シャワー。
バロックの森はヘンリー・パーセルの歌劇ディドーとエネアス、実に穏やかで美しい。

 朝食後しばらく起きていて、展覧会用の写真を選ぶ。

 Hさんに写真展の葉書の原稿を送ったら、ccを送った河野氏から期日が違っているとの連絡があった。年まで間違えて2007年になっている。使うのが2007年の写真だったのでつい、それに引っ張られたのだろう。ただ、日にちが1週間早く間違えていたのは解せない。耄碌の始まり。

 今日は夕食後に散歩をしたが、歩くのが急にしっかりしてきた。ツバメは朝の写真。







リハビリ日記 その5




6月24日 木曜日 晴れ

 4時ころから眼が覚めてしまう。5時ころまで待って入浴。少し腰の中央に痛みがある。

 6時を少し過ぎてバロックの森を聴く。 バッハの「カンタータ 第30番 喜べ、あがなわれた群れよ  第1、2部」をやっていた。
 
 朝食後はテレビなどを見て、1時間半近く起きて過ごした。

 10時から散歩に出たが、出る前から貧血のような感じがした。歩いていても気温と湿度が高いためか一向に気分が良くならないので40分ほどで帰って飲み物で水分を補給してみたがあまり効果がなかった。空腹のせいかという気もしていたが、昼を食べたら、食べてる間に元気になった。来客に備えて昼食後は休憩。

2時に、3氏、来る。Iさんが淹れてきて下さった、ブルーウンテン・№. を皆で戴く。食ったり飲んだりしゃべったりであっという間に4時を過ぎた。エレベータまでお送りした後も少し起きていられた。










2010年6月23日水曜日

リハビリ日記 その4

6月23日 水曜日 

 5時起床、入浴。頭を洗ったりしたら、バロックの森を聴き損ねた。体重 60.9kg。入院前より約 4kg 減っているがほとんどが筋肉の退化だろう。

 朝食後、座るのが少しつらかった。入浴で立ったりしてたからか。 

 ベランダのサボテンの白い花が昨夜から咲いている。全部で13本あった。午前中は降
ったり曇ったりで、花もぬれていたが、午後は日差しが少し出てきた。



 10時からまた中庭を散歩した。約50分。ツバメが雛のお守をしている。雌雄の交代を撮りたかったが、駄目だった。カメラの起動が遅くて無理である。






 中庭には色々な人がやってくる。今日は老夫婦だろうか。車椅子の奥さんをご主人が押しながらやってきて、紫陽花を眺めながら通り過ぎて行った。次は2歳か3歳の男の子を連れた若い母親で、子供を滑り台の下で遊ばせていた。子供が水たまりに手を突っ込んでパチャパチャ書きもわしてるのを携帯で写真に撮っている。子供が十分堪能してやめるまで見ていた。立派な母親である。










 中華料理屋の前のツバメは親が交代してはつききりで雛を見守っていた。






 午後、親友K氏来る。9月の写真展の相談と雑談。写真展の正式名称を「石居と河野の写真展」と決める。K氏は写真の腕も経験も僕より上なのに名称で僕に先を譲ってくれる。彼の優しい気持ちを素直に受けさせてもらった。


 帰っていく彼を角のコンビニの前まで送っていく。年老いてがたがたになった元先端的研究者のなれの果てとも、姿は老いていても気持ちは若い中堅と新進の写真家二人ともいえよう。













2010年6月22日火曜日

リハビリ日記 その3

6月22日 火曜日 
 4時半ころに目が覚めてしまう。5時に起きて立ってみたらどこにも痛みも違和感もない。そこでベッドの縁に座ってみたら10分で腰が痛くなってダウン。体操を2クールやったら、腰も治った。5時半にシャワー、実に気持ちがよい。
 
 6時少し過ぎてNHKのFMに入ったら、チェンバロの音が華やかに聴こえて来た。
今日はバッハのゴールドベルグ変奏曲からとのことで、最初は渡辺順生演奏、ついで名手のスコット・ロス、曲が複雑になるという後半部分はは有名なピアニストばかり3人。
「ゴールトベルク変奏曲 アリアと第1変奏~第3変奏」(チェンバロ)渡邊順生
「ゴールトベルク変奏曲 第13変奏~第15変奏」(チェンバロ)スコット・ロス
「ゴールトベルク変奏曲 第19変奏~第21変奏」(ピアノ)アンジェラ・ヒューイット
「ゴールトベルク変奏曲 第25変奏~第27変奏」(ピアノ)アンドラーシュ・シフ
「ゴールトベルク変奏曲 第28変奏~アリア」(ピアノ)マレー・ペライア

 朝食の少し間から起きて、準備をしたり新聞を読んだりしてみる。食事が終わったころには腰が辛くなる。テレビのニュースを少し見て、起きてから40分で横になった。ベランダのサボテンの真っ赤な花が咲いていた。白い花のも蕾が13本くらい出ている。



 10時に中庭に散歩に出る。

 紫陽花、百合、梔子、その他いろいろ梅雨の晴れ間を飾っていた。
 線路沿いの通路には梔子のほか、南天の花も。
 桜の木下はすっかり緑陰という感じになっていた。





 10時ころに散歩に出る。 1号棟の商店の方にも出てみたら、なんと中華料理屋の前の張り出しにつけてあるスポットライトの上に燕の巣があって、雛が孵っていた。雌雄の親鳥が盛んに餌を運んだり、見守ったりしている。
 それやこれやで、結局1時間くらい散歩をしてしまった。まだ足元はおぼつかないが、杖も実際上は使ってない。ただ人が近くを通り過ぎるのはちょっと怖い。ぶつかったら悲劇だ。そうなるとやっぱり杖があるほうがいいと思った。
 コンビニで昼食のチゲうどんを買って帰る。辛くて美味。



 
 午後も3時ころから40-50分間、散歩。今度も燕を見に行って、雛が口を開いてる瞬間をとらえるのに成功した。



夕方、Iさんから、鎌倉土産のさつま揚げを頂戴する。明月院などに行ったとのこと。

歩行2時間 座居2時間弱 横臥14時間強 といったところか。


リハビリ日記 その2

6月21日 月曜日 曇り

 5時起床といいたいところだが眼を覚ます。顔を洗っていて、昨夜は歯を磨かなかったことを思い出す。バロックの森はブルーンス作曲のものばかり、「前奏曲とフーガ ホ短調(小ホ短調)」など、計5曲。ベッドの上で、ストレッチと手足の体操。

 朝食のとき、バゲットとカマンベールチーズが美味しかった。朝食後、有線テレビで暴れん坊将軍の初期の作品を見る。俳優が若かったのに驚く。なんと、食事時間も含めて、100分以上座っていた。ただし、かなりの苦痛で終わったらベッドに倒れこんだ。

 午後、初めてドアを出て、中庭まで行く。日が燦燦と照って眩しい。中庭の紫陽花は花の盛りで、何種類もの花が見事に咲いていた。いつの間にか株の大きさもかなりになっていた。30分間の散歩。
 管理人室の寄った。応平さんにパソコンの操作の相談を受ける。半角/全角キーが効かないという。見ると、Acerの新しい機械だった。Alt + 漢字 で切り替わった。ほっとしたがなぜ半角/全角が無効になったのかが分からない。

 皆さんに退院報告のメールを送った。食事がおいしい。
  
歩行:40分  座居:160分  横臥:14時間40分

リハビリ日記 その1

2010年6月20日 日曜日  

5週間の入院生活とその日記「病床五尺」を昨日終えて、自宅に戻り、正常な生活を目指してリハビリテーションが始まった。
横たわる、座る、歩く の三つの行動様式の、横たわる を減らして、座ると歩くの割合を増やしていくのである。現状では座るは連続30分くらいが限度、歩くは室内だけ、座るのは3度の食事のとき、歩くのは家の中を日に2回歩きまわるだけ。

 帰宅第一日、昨日までと同じように5時ころに目覚めてしまう。6時間くらいの睡眠時間が定着してしまった。


 6時前にまずは初チャレンジのシャワー、頭を洗うのがちょっとやりにくかった。腰をかがめられないのと、毛髪の量が非常に多くなってしまってるのもあって。あとは危なげなく、終えることができた。以外に時間を食って、バロックの森を聴き損ねた。

 7時過ぎに朝食、入院前に食べていた、チーズトースト、生野菜とハムのサラダ、ヨーグルト、果物、コーヒーという朝食だが、美味。コーヒーはテレビを見ながら飲む。30分座っていたら、腰が辛くなった。ベッドの戻って横になる。

 しばらく休んでから、5-6週間ぶりにデスクトップパソコンの前に座ってスイッチを入れて、ログオン。正常に立ち上がった。まずはLANが有効かどうか、ラップトップで確かめる。変わりなく使えるので安心して、しばらくはラップトップを主に使うことにする、デスクトップを使うのなら、1時間は座れることが必要。

 午前中にさる方がユリをもってきて下さる。花期が終わったのでとのことだが、まだ奇麗。さらに本場物のカマンベールチーズと、クラッカーまで添えて、持ってきて下さった。フランス旅行のお土産。チーズは好物なので嬉しい。



  





  さらに父の日ということで、息子夫婦たちから贈り物が届く。長男のところからは涼しそうな淡い色のポロシャツ、次男のところからは華やかなミニヒマワリと薔薇の花。











 歩行訓練は狭い家の中を、端から端まで5回往復する。座っているのが30分が限度ではどうもならない。最長が40分だった。

 夜、くしゃみが出たが、なんと腰にほとんど響かなくて、安心して2度も3度も繰り返した。腰を浮かすストレッチが効いてきたのだろうか。

  アマゾンで取り寄せた、Cody McFadyen の “暗闇 The Dark Side を読み始める。

 メッセンジャーを楽しんでから、11時就寝。普通にねつけた。

1日の合計で歩くが30分、座るが90分、横たわるが18時間ー2時間=16時間。



2010年6月19日土曜日

さらばベッドよ (病床五尺 その35)

6月19日 土曜日 雨か

 5時40分ころ起床、この病院、最後の晩もよく眠れた。

 バロックの森は
1)バッハの無伴奏セロ組曲2番ニ単調 (セロ)アネル・ビルスマ
2)同じく「協奏曲 イ短調」 (オルガン)トン・コープマン
3)ヘンデルの合奏協奏曲 ト長調 作品6 第1 (ハープシコードと指揮トレバーぴノック 合奏イングリッシュシュコンソート)
4)フレスコバルディのトッカータ集第一巻からトッカータ第8番(チェンバロ)ピエール・アンタイ

 顔を拭き、部屋の内外を歩いてみる。快調に歩ける。薬を配っている看護婦さんのカートの上を見ると、申し送りの書いてあるノートがある。「歩いてみていますか」などと書いてある。

 外は雨。今日は「のようだ」はいらない。せっかく退院だというのに。

 ヘルパーのFさん、ゴミ捨てのオバサン(ヘルパーのMさんに似ているが名前は知らない。彼女はゴミ捨てをベッドわきの丸椅子の上に置いてくれるので捨てやすい)、などに別れの挨拶をしておく。

 室内の写真も何枚か撮っておく。今日のヘルパーはMさん、歯磨きのコップに水を入れると、埃が入らないように上に紙を1枚、かけておいてくれる人。皆さん、それぞれいい意味でのこだわりがある。

 10時ころに何時の間にやら晴れていて、外には日がさしてきた。Fさんからも、Mさんからも、向かいのベッドのYさんからも晴れてよかったですねと祝福された。

 11時15分前くらいに「こねこ」の車椅子が来る。大きな紙袋2つとパソコンと一緒に車いす固定装置の付いているバンに乗り込む。
 病院の裏口(救急車でここについてここから運び込まれた)から駐車場までの数十秒間、太陽の光を浴びる。本当に久しぶりで、皮膚の下でビタミンDの合成が一気に起こった感じ。

「こねこ」は個人経営、それも従業員は夫婦だけという最少人数の組織。ご主人は脱サラで4年前に車1台でこの仕事を始めたが、あまり忙しくはなくて、午前中だけみたいなものだという。いまも車はこれ一台で、ストレッチャーの場合は同業の友人に回すとのこと。退院がほとんどで入院はあまりないそうだ。それども、続いて協同病院に向かったようだった。

 外郭環状の西川口インターを経て、前川付近からイオンモールの前を通って、蕨陸橋に出て、帰宅した。

 家に入った一瞬、前に来たどこかという感じがした。不思議な感じだった。
 昨日の海苔巻きと稲荷ずしの残りという、簡単というかひどい昼食だったが、醤油をつけて食べた海苔巻きの味はひと際だった。





2010年6月18日金曜日

病床五尺 その34 あと1日に

6月18日 金曜日 雨

 5時過ぎに眼を覚ます。やっとここで熟睡できるようになったとっころで、退院も近い。皮肉なものである。思いついて、ホームページの目次を更新。

 バロックの森は
「ジョン・スミス卿のアルマンド」       ダウランド作曲
「やさしい森よ」               ダウランド作曲
コンセールによるクラヴサン曲集から コンセール 第1番」ラモー作曲
「ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラによるファンタジア」 フローベルガー作曲
「カンタータ 第78番わたしの魂であるイエスよ」バッハ作曲
                              
 向かいのベッドのYさんも今朝は一人で歩るけるように。彼も水曜日以降に退院してもよいとのことで喜んでいた。

 朝食後、最後のリハビリ、始まったところでO先生がみえる。退院後は2週目に一度診察に来て下さいとのこと。とくにリハビリのための通院は不要という。外を歩くこと、座ること、ただし座り過ぎないこと、背骨をそらす運動をすること、あまり無理して背骨を、前に曲げないこと、など。とくにリハビリは不要ということだった。
 今日もカニ歩き2往復と、足上げ運動(負荷1kgで15分)、間に待ち時間が10分入って座ってたので、腰が辛かった。

 部屋の戻ると、隣に新入りの人が入っていて、ラジオの音楽の音が流れている。様子を見に行くと30歳くらいの清潔な感じの青年、中国人研修生で、日本に3年いる予定とのこと。山東省出身。くるぶしの骨折だそうだ。しばらく話し相手になって、別れ際にラジオはイヤフォンで聴くのがルールだと言ってあげる。

K看護婦さんの測定は、血圧137と84、体温36.6度、酸素97%

 昼はうどんだといわれて、起き上がってみてみたら、丼のほかにお皿にかき揚げ風のものが! 久しぶりに脂っけのあるものを食べた感じ。食後に、排便、この5週間に下剤なしでの排便は初めてだった。心配が一つ減った。

 午後には隣の中国人のところに日本人男性の見舞い客。研修先の人か。向かいのYさんのところには娘さんと奥さん。奥さんが来たのは初めて。家族三人の和やかな会話で、まさに家族的である。

 ナースステーションに行って、Y看護婦さんと並んだ写真をとる。YさんとKさんの写真も。












  午後はMAさんからのCDを聴いたり、彼女お手製のクルミ餅を食べたり。


  

2010年6月17日木曜日

病床五尺 その33


6月17日 木曜日 晴れ

バロックの森は:
マティアス・ヴェックマンの「ソナタ 第九番」、
ヴィヴァルディーの「協奏曲ニ長調」、やたらと調子のいい曲。
ルイ・クープランの「組曲 ニ調」、二短調と二長調からなるクラブサンの組曲。
フレスコバルディーのトッカータ集から トッカータ第五番」

 朝食を食べ終わったところで昨日、MA嬢から焼海苔を頂戴したのを思い出したが、もう遅かった。相変わらず不味いおかずである。

 朝食後、ゆっくりしようとしたところに、リハビリにTさんが来る。今日も昨日と同じコースで単調だった。杖はほとんど実際的には使わずに歩いていた。握っているだけに近かった。

10時半ころに黒ふち眼鏡のI看護婦さんが検温に来る。体温が37.3度とやや高い。血圧は108と81、酸素濃度が95%。午後また体温を測ってみましょうという。

 11時ころに3階の散歩、ナースステーションのガラス戸に可愛いメジロの群れの写真が貼ってあった。ナースコールの表示板も見える。僕の名が上から4番目にあった。

 302号室の窓から外をみると、周囲の家の庭などに、カシワバアジサイ、クリ、ツツジなどの花が咲いていた。

             ナースステーション入口付近          


ナースコールの表示板




ナースステーションのガラス戸に張ってあった



カシワバアジサイの花           






 クリの花




朝食後、看護婦さんから戴いた飴




2010年6月16日水曜日

病床五尺 その32 本文

6月16日 水曜日 曇りか雨

 眼が覚めたら弾き語りフォアユーでは日本歌曲「くちなし」をやっていた。始めて聴いた曲だった。

 『くちなし』  高野喜久雄 詩  高田三郎 曲

荒れていた庭 片隅に 亡き父が植えたくちなし
年ごとに香り高く 花は増え
今年は十九の実がついた 

くちなしの木に くちなしの花が咲き 実がついた
ただ それだけのことなのに 震える震える私の心
ごらん くちなしの実を 

ごらん 熟しても口を開かぬくちなしの実だ
とある日の父の言葉 父の祈り
くちなしの実よ くちなしの実のように 待ち焦がれつつ
ひたすらに焦がれ生きよと 父は言う
今もどこかで 父は言う


バロックの森:
ワイス作曲 “組曲ニ短調”、よく合った二つのリュ-トによる26分間の最初から最後まで穏やかな優雅な曲だった。静かな雨の朝にふさわしい。
もう1曲、エマヌエル・バッハ作曲「協奏曲 変ホ長調」、出だしから古典派の曲を思わせるものがあったので、wikipediaを見たら、「父親より、父親の友人ゲオルク・フィリップ・テレマンの作曲様式を受け継ぎ、ギャラント様式多感様式を追究して、古典派音楽の基礎を築いた」とあった。音楽に興味のある人たちには常識なのかもしれないが、僕には面白くて、最後まで注意して丁寧にきいた。

血圧は121と75、酸素95%、体温37.9度

 食後、ベッドに戻ったかと思うとすぐにTさんが来て、リハビリ、手足のマッサージ、運動と続いて、杖を持ってきたと知ると、歩行器を戻しに行って、杖で1階まで行くことに。ちょっと自信がなかったが、思ったより苦痛もなく行くことができた。
 今日も蟹の横這いを2往復、膝上げ爪先立ち20回づつ。その後に、今日は1kgの負荷をかけて、足上げを15分。
その間、平行棒の間を悲鳴を上げながら捉まり歩きをさせられているお婆さんがいた。さすがに行程の半分で椅子を入れてもらって休憩。そのまま回れ右でまた悲鳴を上げながら戻って行った。もう少し、楽な方法がないものなんだろうか。
部屋に戻るのもまた杖で歩いて行った。流石に腰が辛かったが、無事にベッドに帰りつけた。昼に座るのは無理しなくて、午後に30分、座ればいいからと、Tさんは優しい。ベッドに倒れこんで、恐る恐る腰を伸ばすと、もう何でもなくなる。

昼食のとき、同室のYさんにコーヒーを1杯、分けてあげる。本当はIさんの美味しいのをあげられればよかったのに。生ぬるくて、ミルクも砂糖も入ってないので不味いんじゃないかと思ったが、「久しぶりだから美味しいですよ」という言葉に真実味を感じた。
食後、杖をついてナースステーションに行ったりトイレに行ったりする。杖は使わなくても、あまり腰の辛さは変わらないようだった。

 Y看護婦さんから退院しても来ることがあったら3階に上がって来てよと言われる。嬉しい。

 午後、家人に続いて、TさんとIさんが見舞いに来て下さる。お二人から、携帯から携帯のメールアドレスなど交換。

 夕方、廊下に出て、通りがかりの看護婦さんにシャッターを押してもらった。部屋の名前の表示は自分で撮った。
 また、6時ころに夕立があり、さっと晴れて虹がちょっと出た。




夕食のお盆に紫陽花の花を描いたカードが載っていた。Yさんは意味が分からず不思議がっていた。あまり情緒を解さないのか、眼が悪くてはっきり見えなかったのか?

6時半ころにMA嬢がラスクと、手製のクルミ餅を持って見舞いに来て下さる。今日明日はご両親が八丈島に行っていて一人で留守番とのこと。8時半ころまで話していた。